9条改正、自衛隊明記の意義

秋山 昭八弁護士 秋山 昭八

「国防」「安保」の規範盛る
「権力不信」が前提の現行憲法

 世論調査によれば、災害時の自衛隊の活躍や北朝鮮・中国脅威論から、自衛隊の存在自体に対しては国民の8割以上が必要性の認識を持っているといわれている中で、自衛隊の「存在」の合憲性を憲法に明文化してはっきりさせるという自民党改憲案は、大衆には受け入れやすい。

 他方、果たして自衛隊の「存在」と「権限」は切り離して考えることができるものなのか、現に安全保障関連法が存在している現状で、自衛隊を憲法に規定することは、安全保障関連法を完全に合憲化することになるのでは、という疑問がある。

 自民党より示されている「9条の2」案では、自衛隊の存在を規定するだけで、「わが国を防衛するための必要最小限の実力」として自衛隊が何ができるかは規定しておらず、9条1項2項が残る以上、おのずとその権限・活動範囲の解釈に制限がかかると言える。

 そもそも自衛隊とは、どのようなことまでが期待され、どのようなことまでができる存在であるべきなのか、そのことが自衛隊を憲法に規定することでどのような影響を受けるのか、われわれはそのことを人権保障と安全保障の観点から考えていかなければならない。

 自衛隊を憲法に規定する必要性については、自衛隊と憲法の関係についての考え方によっていろいろと意見が分かれ得る。

 「個別的自衛権の下での自衛隊という存在自体は認められる」という考え方においては、合憲なのだからあえて憲法に規定する必要はないという考え方と、それでも自衛隊違憲論を言う人たちがいる以上、憲法に規定すべきだという考え方がある。もっとも、上記の自衛隊の存在自体は合憲と考える人の中にも、「自衛隊の現在の装備は、現実には個別的自衛権の範囲を超えた軍隊である」として、そのような現状で自衛隊を憲法に規定することには反対という考え方もある。

 他方「現在の国際情勢(北朝鮮や中国の軍事的脅威論)において、わが国を防衛するために必要な装備・行動や権限は自衛隊に認められるべきであり、そのために必要なら9条も含めた改憲も必要」という考え方もある。

 しかしその立場においても、①「国防に必要な行為を自衛隊が行うためには、少なくとも9条2項の改正が必要」とする立場②「9条は維持したままでも、憲法に自衛隊の存在について授権規定さえ置けば、法律や国会の承認に基づき、議院内閣制の下で政府が国防の観点から必要と判断したことを自衛隊が行うことは認められる」とする立場③「9条1項2項とは別に自衛隊を憲法に規定する場合は、自衛隊が具体的に行い得る行為について憲法でさらに項目立てをして厳格に規定し、立憲主義の民主的コントロールに服させるべきだ」とする立場―といった考え方に分かれると思われる。

 9条1項2項を変えずに「9条の2」として自衛隊規定を加憲した場合、その「9条の2」は、9条1項2項との関係では「例外規定」という形になる。もっとも、原則規定が残る以上、例外規定はあくまで限定的でなければならないはずであるが、現在の「9条の2」案では、自衛隊を「わが国を防衛するための必要最小限の実力」と規定するだけであり、9条2項の「戦力不保持」や「交戦権否認」の規範力が自衛隊にどこまで及ぶのかが問題となる。

 9条2項の「戦力不保持」「交戦権否認」の規範が「9条の2」の自衛隊にも及ぶのであれば、自衛隊は「戦力」であってはならず、また交戦権がない以上は武力行使も自国の領域内での専守防衛のためのみ可能ということになるが、どこまでが防衛力でどこからが戦力なのか、専守防衛のための武力行使とは、どこまでが許されるのかが解釈論として問題となる。また、世界有数といわれる現在の自衛隊の装備が、果たして「戦力」と言えないのかについては疑義のあるところである。

 9条1項2項は残したまま、憲法に「9条の2」として自衛隊を規定することは、日本国憲法の中に「国防」あるいは「安全保障」という規範、時には基本的人権の制限規範ともなり得る新たな規範を盛り込むことを意味する。

 日本国憲法は、その前文が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすること決意し」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べるように、政府や軍部の権力の暴走により軍事力が行使され、戦争が再び起こることを避けるために徹底した「権力への不信」を前提に、憲法規範で権力を拘束するとともに、憲法上に「国防」「安全保障」という概念を置かなかった。

 それは、近代以降の戦争のほとんどが「自国および自国民の利益を守るため」という自衛の論理で始められていることに鑑み、そもそも自国の政治権力に軍事力を持たせないという形で、自衛という名目であろうと権力の暴走による戦争を起させないという、日本国国民の決意の表れであったと言える。

(あきやま・しょうはち)