今年こそ憲法改正実現を

300哲学者 小林 道憲

9条はGHQへの降伏文
自衛隊明記と第2項削除必要

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

 これは、よく知られた日本国憲法第9条の全文である。つまり、憲法9条は〈戦争放棄〉と〈戦力不保持〉と〈交戦権の否認〉によって構成されている。これらの条項を字句通りに読んでいくと、わが国はいかなる戦争もしてはならないし、軍隊も持ってはならないし、交戦権もないと受け取る以外にない。そして、それは、当時(1946年)、この憲法を、敗戦国であるわが国政府に押し付けた連合国軍総司令部(GHQ)側の本音でもあったであろう。憲法9条は、アメリカ占領軍からの敗戦国日本に対する武装解除宣言だったのである。

 征服軍にとって最も困ることは、被占領国に軍があり、これが占領軍に抵抗することである。だからこそ、GHQは、日本の軍事力を徹底的に抹殺し、日本を非武装化しておこうとした。憲法も、この占領目的を達するための手段であった。「国の交戦権はこれを認めない」というのは、穿(うが)ってみれば、アメリカ占領軍が認めないということとも受け取れる。この武装解除宣言をあたかも日本側から自主的に作られたかのような形にすれば、憲法9条のようになるというだけである。憲法9条は、日本側から言えば降伏文だったということになる。当時は、占領下にあった敗戦国日本は、実際には、自主的に立法や行政を行う権限(国家主権)を持ってはいなかったのである。

 その意味では、憲法9条を書かされたということによって、日本は、ポツダム宣言受諾段階よりも後退し、事実上の無条件降伏にされてしまったと言えるかもしれない。ポツダム宣言では、日本はまだ有条件降伏であった。なるほど、ここには、民主主義的傾向の復活強化とか、旧軍の武装解除は宣言されているが、帝国憲法を廃止せよとか、永久に軍事力を無くせとまでは言っていない。ところが、GHQは、このポツダム宣言を無視して、憲法の改廃を強行し、実質上、永久武装解除になる〈お手上げ条項〉をわが国に呑(の)ませた。わが国は、圧倒的な占領軍の威力を前にして、これを呑み込んでしまったのである。

 しかし、このような降伏文を、日本政府に書かせたことによって困ったのは、皮肉なことに、日本ではなく、当のアメリカ自身であった。よく知られているように、アメリカにとって危険な存在は日本ではなく、ソ連をはじめとする共産圏であるということが明らかになるのは、その後間もなくのことであった。事実、それは、朝鮮戦争で明確になった。すると、アメリカは、自ら与えた憲法の意図に反して、日本に再軍備をさせ、日本を、国際共産主義の脅威に対する防波堤にしようとしたのである。この時点から、現実的要請と憲法の理念との齟齬(そご)が生じ、弥縫(びほう)策と誤魔化(ごまか)しが始まる。

 吉田茂首相は、幣原内閣の外務大臣当時、憲法草案をGHQから初めて受け取った時は愕然(がくぜん)としたそうだが、現憲法を受け入れることと天皇の身柄とが交換条件になっていたこともあって、これを受け入れ、憲法制定議会を通した。議会では、逆に、この憲法を理想的な平和憲法として積極的に支持して見せた。戦争放棄も、自衛戦をも含むものとし、共産党の「自衛戦は認められるべきだ」という正論を退けた。

 ところが、アメリカからの強力な要請で再軍備せざるを得なくなった日本政府は、周知の通り、警察予備隊を創設する。そしてこれを、保安隊、自衛隊となし崩しに成長させていった。吉田首相は、憲法9条にある戦力不保持の規定と事実上の戦力保持の矛盾を、苦し紛れに「戦力なき軍隊」という詭弁(きべん)によって誤魔化した。ある意味で、この吉田首相の選択が間違いのもとであった。その後も、わが国の保守政党は、自衛力は認められているという9条解釈によって、自衛隊の存在を追認しようとしてきた。

 今日の自衛隊は、今なお、憲法によっては少なくとも積極的に支持された軍ではなく、どれほどの名誉も与えられていない。何よりも、絶えず合憲論を唱え続けていなければならないほど、自衛隊の法的根拠には不透明さがあるのである。そのため、わが国の自衛隊は、交戦権を持たない軍にさえなっている。「自衛のための武力保持は許されている」という第9条の単なる解釈運用だけでは、立派な国軍は育たないであろう。法的根拠と名誉の与えられていない軍では、独立国家は成立しない。憲法9条は、自衛隊の存立明記の他、特に、戦力不保持と交戦権の否認を規定した第2項の削除が必要であろう。北朝鮮情勢などの安全保障環境の緊迫する中、今年こそ、憲法改正の必要な時である。

(こばやし・みちのり)