盤石な第3次安倍改造内閣
憲法改正へ論議深めよ
国民に精神力あっての活躍
第3次安倍改造内閣が発足した。昨年12月の総選挙での圧勝、先月末の自民党総裁選での無投票再選を経て、安倍体制は、発足してから最も盤石となった。連日連夜の国会前の安保法制反対デモ、言論の府とは思えない〝暴徒化〟したかのような安保国会終盤など、数々の〝難関〟を突破して、政権発足から2年10カ月で、ゆるぎない政権基盤を確立したように思える。集団的自衛権の行使容認とそのための法律を成立させ、「ほとんど不可能」と言われていたTPPも合意。わずか3年前、安倍総理が自民党総裁選への出馬を決めた時に、今のような安倍総理の「一強体制」を予測していた人がどれだけいたであろうか。多くの国民の目には、第1次安倍政権が終わるときの、いかにも体調が悪そうな「弱々しい」姿ばかりが印象づいていたはずだ。私自身も、安倍総理の再登板にはかなり驚いた。しかし、今は、この3年間の安倍総理の実行力と粘り強さ、そしてひるむことのない強い信念を評価したい。
さて、小泉政権以来、久しぶりの長期政権の様相を呈してきたが、今後も国民の求心力、党内の安定基盤を維持していくには、安保法制の成立に安堵するのも束の間。これまで2年10カ月の政権運営以上に、難しい課題を乗り越えていかなければならない。
10月7日に行われた内閣改造では、重要閣僚である官房長官、財務、外務、経済再生担当の4閣僚は政権発足以来の続投となった。また総務、厚生労働、防衛、地方創生も第二次、あるいは第3次内閣から留任した。重要閣僚の一つであった文部科学大臣は、オリンピック関連の失策の責任を取る形で交代することになった。下村氏なくして安倍政権の教育改革はなかったと考えると残念ではあるが、仕方なかったのだろう。異色の経歴とも言われるが、馳浩文部科学大臣は、高校の国語の教員出身ということもあり、教育現場もよく熟知している。下村前大臣が手掛けてまだ具体的な改革案が出されていない大学入試改革についても、馳大臣の経験から現実的な案が出されることを期待したい。
9人が初入閣という大量の新人大臣を抱え、また適材適所からは程遠いと思われる登用も目立つ。第3次安倍改造内閣は、「安定性」「継続性」という総理の思いがどれだけ実現できるかわからない。今回の最も大きな目玉である「1億総活躍担当大臣」こそが、一体何を目指しているのかが不明だ。前内閣の「女性活躍推進担当大臣」は、「女性活躍推進法」を成立させただけに終わったが、その時も、「活躍とは何か」ということに、そのターゲットである女性の側から不安が噴出し、決して評判がいいものではなかった。「女性の活躍」=「社会での地位を得ること」という一つのイメージが先行し、結果として専業主婦として家庭の中での役割に徹しようとする女性たちを苦しめることにもなった。
今回は「1億総活躍」、つまり女性のみならず、国民全員が活躍できるという、わかりにくいスローガンを掲げることは、国民に期待よりも不安をあおることになるだろう。さらに、加藤大臣は、他に、女性活躍担当、再チャレンジ担当、拉致問題担当、国土強靱化担当、少子化対策、男女共同参画の計7部門を担当している。安倍総理肝いりの大臣のようだが、担当分野が多すぎて、どの課題も中途半端になるのではないかと思わざるを得ない。
ただ、安倍総理が記者会見でも述べていた「未来へ挑む内閣」という方針は評価したい。今、日本があらゆる分野で早急に手を打たなければならないことには、私は大きく三つの理由があると思っている。一つ目は、少子高齢社会による人口構造の変化、二つ目は、技術の革新の速さ、三つ目は、現憲法を起因とする日本人のひ弱さである。少子化は、ここ近年の問題ではなく、すでに30年以上も続いている現象であり、世界の先進国はみな同じような状況である。しかし、日本はここへ、超高齢社会が合わさり、社会保障制度はもちろんであるが、労働市場や雇用形態など、これまでの制度ではすでに行き詰まっているという問題が多々あるのだ。そこへ、技術の革新はハイスピードで進み、有能な日本の技術力の海外流出も止まらない。
日本が平均寿命以外、「ナンバーワン」でなくなって久しいが、「それでも、別にいい」というメンタリティーこそが、「勝ち抜いていこう」「世界をリードする国民でいよう」という精神力からは程遠い、ひ弱な国民を作ることになっている。これらの問題を克服しなければ、あらゆる分野で日本は生き延びていくことができない。今、日本に生まれ、日本で育つ子供たちの「未来のために挑む内閣」と考える安倍政権には、その本質を見失わずに、改革に果敢に取り組んでいってもらいたい。
その最たるものは、憲法改正である。「1億総活躍国民会議」を発足させるようだが、そのようないかにも総花的になりそうなものに労力を費やすのではなく、「憲法改正国民会議」を作り、安倍総理が望む「国民的議論を深める」ことに注力する方が本質的であるはずだ。安保法制に「説明不足」という批判が付きまとっていたことを教訓にするのならば、憲法については、安倍総理が盤石の体制を築いた今こそ、国民への問いかけを始める必要があるのではないだろうか。
(ほそかわ・たまお)






