露大統領の陰謀か否か 総括待つ元スパイ死因審問

中澤 孝之日本対外文化協会理事 中澤 孝之

英内相に12月にも報告予定

 やや旧聞に属するが、今年1月27日午前10時からロンドン王立裁判所第73法廷で始まったリトビネンコ暗殺事件公聴会のヒアリングはようやく7月末に終わった。9年近く前の事件発生から終始注目し続けた筆者は、ネット時代の恩恵に浴して公聴会(昨年7月に「死因審問」から切り替えられた)事務局のアドレスにアクセスし、膨大な資料を入手した。

 これにはマリーナ未亡人(52)や息子のアナトーリー(20)も含めて事件関連の多数の証人が呼ばれ、詳細な質疑応答が展開された。リトビネンコ一家の資金源で2013年春に自殺した故ボリス・ベレゾフスキーの生前の証言なども披露された。

 ところがヒアリング終盤になって、急きょ予定が変更され、7月後半までの延期となった。英国当局が事件の有力容疑者と断定し国際手配を済ませていたアンドレイ・ルゴボイ(下院議員)とドミトリー・コフトゥン(実業家)の元ロシア秘密情報部員はモスクワにいて容疑を強く否定し、訪英すれば逮捕されるので公聴会出席を拒否していたが、この2人のうちコフトゥンがビデオ中継による口頭での公聴会参加を申し出たからである。しかし、ロシア国内法に抵触し罰せられるとの弁護士の忠告もあって、土壇場で参加を断念。有力容疑者の証言を得ることなく、公聴会は終了した。

 公聴会の総括は今年末のクリスマスのころに、議長のサー・ロバート(・オーウェン)判事によって発表される予定だ。遺族とその弁護士、それに在米反体制科学者アレックス・ゴールドファーブなど故人の友人たちが一貫して主張するように、ロシア政府あるいはプーチン大統領が直接ないし間接、事件に関与していたとの確証を同判事が英内相に報告できるのかどうかが注目される。

 元ロシア連邦保安庁(FSB)職員リトビネンコは06年11月1日の昼、ルゴボイ、コフトゥンの二人を交えてミレニアム・ホテルのバーでお茶を飲んだ。その日の夕刻、自宅での食事後に突然体調を崩し、市内の二つの病院で治療を受けた。変わり果てて病床に力なく横たわる姿が公表され、全世界に大きな話題を提供したことは記憶に新しい。英捜査当局は最後に一緒にお茶を飲んだ二人を容疑者と決めつけた。最初、「タリウム」と判定された毒物は、死の数時間前に、病院の検査ではなく特別の科学研究所での彼の尿検査で、アルファ放射性物質「ポロニウム210」と確定された。

 コフトゥンは7月の再開公聴会ヒアリングでどのような証言をするつもりだったのか。コフトゥンはまた4月8日、モスクワでの記者会見で、リトビネンコの死は「不幸な偶然の結果だったというのが、私の基本的な考えで、それは”不注意による自死”であった」と発言。さらに、「私は強く確信しているが、リトビネンコはポロニウム210についての知識がなく、それを取り扱っていた。彼の死は”アクシデントによる自殺”である」「多分、若干のポロニウムが漏れ出て、次第に彼の身体組織を汚染したのであろう」「最初に我々と会う数日前に多分、ポロニウムと接触したに違いない。このことこそ我々が無実である証拠である。調査当局がこうした点に関心を払わないのは不思議だ」などとも述べていた。

 実は、リトビネンコ本人がポロニウム210の不注意の扱いで死亡したのではないかとの説を一部の識者が唱えていたことを筆者はこれまでの調査から承知していたが、それがコフトゥンの口から出たことには驚いた。リトビネンコが生前、ウクライナからイタリアへの化学兵器や”小型核兵器”、拳銃といった小火器などの武器の密輸に関与していたとの伝聞が、今回の公聴会での証言の中でも明らかにされた。こうした密輸品の中に「ポロニウム210」が入っていた可能性もあるようだ。

 さて、筆者のメル友の一人にロシア人N・Cがいる。同氏は02年から約2年間ロンドンに滞在していたころリトビネンコ一家や故ベレゾフスキーらと親しかった。N・Cは、ほとんど英語を知らないリトビネンコが英諜報機関MI6の関係者と会うときに通訳の役目を果たしたこともあるという。筆者は今なお、同氏と時折メールで情報を交換している。

 実は3月19日に筆者は、公聴会事務弁護士のマーチン・スミスに、生前のリトビネンコやその家族を良く知る人物の一人としてN・Cを公聴会の証人に呼ぶべきではないかとN・C推薦のメールを送った。すると、4日後の23日にスミスから丁重なお礼の返信メールが送られてきた。その要旨は、「N・Cに関する記録は公聴会事務局にもあり、同氏が長年書き残してきた文献(著書)、資料も十分承知している。そうしたことの総合的判断から、議長は今回、この証人(N・C)からさらなる情報や記録を求めることは考えていないが、公聴会への貴殿の関心と支援に感謝している」という内容だった。N・Cを公聴会の証人として呼ばないことに決めたのは、リトビネンコの死因に関して同氏とマリーナ未亡人や遺族弁護士らとの間の考え方の決定的な違いをくみ取った議長の判断があったように思われる。

 いずれにせよ、恐らくスミスは、日本からの証人推薦は予期していなかったに違いない。リトビネンコ公聴会議長サー・ロバート判事の意向を折り返し伝えてくれた英司法当局者の迅速な処理をご紹介した次第である。(敬称略)

(なかざわ・たかゆき)