延長国会で国民守る議論を

300政治ジャーナリスト 細川 珠生

効果ある集団的自衛権

会期制は通年制に変更せよ

 1月26日に始まった第189通常国会は、6月24日までの会期を9月27日まで95日間延長することになった。今国会の最重要法案である集団的自衛権行使を可能とする安保関連法案を成立させるためである。会期内の成立どころか、未だ衆議院での審議時間は与党が見込んでいた80時間の約7割弱にとどまっているが、現行憲法下で最大の延長幅を確保したということは、今国会での成立を絶対に断念しない、必ずや成立させるという安倍総理の強い意志が感じられる。一方野党も、徹底攻勢の構えである。延長幅が気に入らないと、早速審議拒否を行った。

 特に、憲法59条に規定される「みなし否決条項」(参院送付後60日を経過すれば、審議・採決の有無にかかわらず、「否決」したとみなし、衆議院での再議決が可能となることを規定したもの)を採用することは絶対に認めないと、「60日ルールは使わないことを約束することが審議再開の条件」(維新の党)と強気である。憲法に規定された制度である以上、「それはやらない」とは与党側も約束できないのが本音だろう。しかし与党にとっても、強行採決の様相は、国民への印象を悪くする。できれば避けたい手段のはずだ。この安保法制の審議がどのような形で決着するのか、安倍政権にとって、正に今が正念場でもある。

 私は、今国会の延長を受け、二つの点について着目した。一つは、国会運営の在り方について、もう一つは政治の役割とは何かということである。どちらも、民主主義国家にとって重要なテーマであると考えている。

 国会運営の在り方、とりわけ国会の会期制と通年制について、改めて考えなければならない。会期制は、法案を時間切れによって廃案にするなど、野党の国会戦略上合理性があるものと考えられている。憲法52条で、国会の常会(通常国会)は、年に1回と規定され、国会法で会期は150日で、延長は1回のみと規定されている。他に審議の必要性が生じたときは、閉会中審査や臨時国会を開くことができる。

 慣例的に、通常国会の閉会後、夏をはさみ、9月末から10月末の間に臨時国会が召集され、年末まで50~60日開かれるが、通常国会が延長なしに閉会されると、長い時は、3カ月近く国会が開かれないこともある。それでいながら、審議時間が足りないというのは、国会運営上の戦略では済まない問題であると私は思ってきた。

 特に、夏の間は、国会議員といえども、選挙区のお祭りで盆踊りをすることも政治活動の一つと信じて疑わず、その時間の確保のためには国会が開けないとは、国家国民のためより、自分自身の選挙が最優先としか考えていないということだ。国会議員としての責任をどこまで自覚しているのか大いに疑問である。国会議員の「就活」のために、国民にとって大事な法案の審議が進まないなどということはあってはならない。普通の社会人と同じように休暇を取れるようにし、私は通年国会を基本に、1年中、しっかりと国会審議をしてもらいたいと思う。それが国会議員の本業であるからだ。

 国会運営の在り方とも大きく関係しているのだが、政治の役割とは何かということも改めて考えたい。それは言うまでもなく国民を守ることだ。国民を守る、国を守るということには、究極的には二つの手段しかないと私は考えている。一つは、自国で完結できる防衛力を持つということ、もう一つは、多くの国との良好関係を築くということである。

 日本は戦後、軍事力を放棄させられ、その代わり、日米安保条約によって、日本の防衛を大きくアメリカに依存してきた。基地提供はそのためにも必要不可欠であるのだ。しかし、アメリカにとっては、アジア太平洋上の重要な軍事拠点でもあり、単に日本を防衛するために駐留しているのではない。つまり、どんなに強固な同盟関係を結んでいても、自国にとってのメリット、言い換えれば国益が何より優先されるのである。どれだけ良好な関係を築いていたとしても、世界でいつ何が起こるのか、100%の予測は不可能だ。他に依存するような防衛態勢で、本当に国民を守り切れるといえるのだろうか。

 日本は、現行憲法の制約の中で、自国だけで守り切れる防衛力を持つことは難しい。その点からも、集団的自衛権の行使は、それでも憲法の枠内でできる最低限の態勢整備であると私は思う。私は原油の輸送が滞れば立派な「存立危機事態」であると思うが、個別ケースの如何より、日本が集団的自衛権を行使できるようになるというのは、「戦争に巻き込まれる」という負の評価ではなく、「行使できないことによって相手に隙を与える、ということにはならない」という効果の方が大きいのである。

 国民を守るべき国会議員が、なぜこのような当たり前のことがわからないのか不思議でならないが、それはおそらく、このようなことを真剣に考えることがない政治家の在り方に問題があるのだろう。「外交・安保は票にならない。しかし、盆踊りは票になる」という文化であった日本の政治を、国民も責任を自覚しながら、変えなくてはならないのだ。あと90日余り、国民を守るために行うべきことは何かをよく自覚して、議論をしてもらいたい。

(ほそかわ・たまお)