武官に報いる「名誉の階梯」
諸外国並みの顕彰制度を
制度上の貧困が際立つ現状
現下の政局の焦点は、集団的自衛権行使を織り込んだ安全保障法制整備の行方である。多分、安保法制それ自体は、「自民、公明+維新・橋下系」の賛成で、採決強行を繰り返してでも成立させるという筋書きであろう。この安保法制整備が成れば、自衛隊は、実質上、「普通の国」の軍隊になる。
故に、次は「普通の国」の軍隊に相応しい「名誉の階梯(かいてい)」を構築する必要がある。その「名誉の階梯」を体現するのが、「勲章」に絡む制度であるけれども、2003年に行われた叙勲制度改正は、この「名誉の階梯」を十全ならしめるという趣旨では明らかに不充分にして不徹底であった。
「勲章」を取り巻く環境は、日本を取り巻く安全保障環境の変化、さらにいえば陸海空3自衛隊の「性格」の変化を反映している。冷戦期、1990年代初頭以前、自衛隊の性格は、「沈黙の軍隊」と呼ぶべきものであった。そこでは、西側同盟の「弱い環」にならないという受動的な方針が維持された。
冷戦が終結した1990年代初頭以降、自衛隊の性格は、「貢献の軍隊」と呼ぶべきものに変貌した。湾岸戦争時に「対外関与の消極性」を批判された日本は、カンボジアPKO(国連平和維持活動)以降、「国際貢献」の実績を蓄積してきた。そして、2010年代中葉以降は、自衛隊は、「協働の軍隊」としての性格を帯びることになるであろう。集団的自衛権行使を織り込んだ現下の安全保障法制整備の落着は、他国と協調して働く「協働の軍隊」としての構えに裏付けを与えることになる。
こうした性格の変化は、今後、自衛隊に対して期待される活動の中身が広範にして複雑になるという事情を示している。当然のことながら、自衛官が背負う「労苦」や「危険」の度合いもまた、確実に高まる。こうした「労苦」に適宜、国民の認知と共感の下で報いる枠組が大事になってくる。
広い意味での武官の「労苦」に報いる制度の現状は、軍事を実質上、忌避した戦後日本の足跡を反映している。明治以降、帝国憲法下、武官に与えられた「名誉の枠組」は、下記の三つの種類があった。
先ず、明治17年創設の華族制度は公爵以下5階級に分けられ、純然たる武官の最高位は、日露戦争後の野津(のづ)道貫(みちつら)、東郷平八郎の侯爵授爵であった。次に、明治9年創設の叙勲制度は大勲位以下、9階級に分けられ、武官の最高位は、これもまた野津道貫、東郷平八郎の大勲位菊花大綬章受勲であった。
武官のみを対象にした金鵄(きんし)勲章は、神武東征の故事に因(ちな)んで明治23年に制定された。7階級から成った勲章の最高位たる功一級は、日露戦争後に当時の軍首脳に一斉に授与された。それは、帝国・日本の「成功」事例としての日露戦争の位置を物語る。
現行憲法下では、華族制度と金鵄勲章は廃止され、叙勲制度だけが存続した。しかも、叙勲制度それ自体も、2003年制度改正以前は、武官を著しく冷遇してきた。武官最高位の統幕議長への叙勲は、長らく勲三等相当が上限であり、現在でも勲二等相当が通例である。
また、一般武官に対する叙勲は、「危険業務従事者」叙勲で勲五等、勲六等相当という仕方である。加えて、生涯に実質上、一度だけ叙勲するという制度の実態では、この制度は、「名誉の階梯」として全く機能していないし、退官数十年後に叙勲するという制度の実態では、武官の功績を適宜、顕彰するという枠組としても、機能していない。因みに、現在、自衛隊法施行規則上の「賞状」、「賞詞」「防衛功労章」があるけれども、これは、世間で認識される「勲章」ではない。国民全体の「敬意」や「共感」の裏付けはない。無論、外国人にも与えられない。
こうした現状は、「普通の国」としての諸外国の勲章制度の事例に照らし合わせれば、その制度上の貧困が際立っている。たとえば米国では、米国武官に授与されるものとしては、議会の名において大統領が授与する最高位勲章としての「議会名誉勲章」、その次位勲章としての「陸軍殊勲十字章」、「海軍殊勲十字章」、「空軍殊勲十字章」がある。
また、フランスには、1802年にナポレオン・ボナパルトによって創設された「レジオン・ドヌール勲章」、さらには1963年、シャルル・ド・ゴール執政期に創設された「国家功労勲章」がある。こうした「名誉の階梯」を確実に整備した上でこそ、その国々の軍事・安全保障に係る態勢が機能するという事実は、強調されなければならない。
武官に「広範な領域の活動」を期待するのであれば、その活動に伴う功績を適宜、顕彰する「名誉の枠組」が要る。それは、現下の安保法制整備の次の政策課題として、今から想を練っておくべきものであろう。
(さくらだ・じゅん)