通常国会が閉幕 与野党のチエの出し合いを
永田町は一生懸命やっている。国民は永田町の刻苦精励を多とするに吝かではない。しかしそれでも何となく物足りない気持ちがする。それはやっぱり見当違いの方向を見ながら力を籠めているからだろう。
国民が永田町に望むのは国民のためにガムシャラに働くことではない。常に国民の胸の中を察し、国民と共に汗を流し、国民と歩調を揃えて前進することだ。その国民の視点から永田町を見ると、永田町の奮闘努力は作りものにすぎない。いかに上手に芝居を演じても、作りものは作りものだ。国民の目から見るとそれがよく分かる。
しかしひと頃のように与野党睨み合ったり、掴み合いばかりして日を送るのも異常だ。問う方も答える側も本音で議論してもらいたい。
長いと思った通常国会も終幕を迎えた。長かった割には収穫があったか。それを思えば気が重い。しかし民主政治を支えるのは選挙と国会だ。これがしっかりしないと民主政治の土台が揺らぐ。採点するのは国民だ。その国民は昨今の国会のあり方には愛想を尽かしかけているのではないか。それが心配だ。
それでも昔の「乱闘国会」に比べると、随分おとなしくなっている。その代わり、やる気が衰えてきたのも見逃せない。乱闘国会を取るか、やる気不足国会のどっちを取るか、難しい選択だ。しかしその結果は国民が出す。もし「否」と出たら困ったことになる。
議会制民主主義を捨てて何を代わりに導入するのか。それを思っただけで頭が痛くなる。しかしこれは今始まった問題ではない。しかしまだ国会も国民も答えを出していない。いや出せないのだ。この星雲状態のまま、答えを書くのは至難の業だ。もし間違った答えを出せば日本は大混乱になる。それはそのまま亡国の道につながる。怖ろしいことだ。
その怖ろしい時代を政府も国会も平気な顔をして歩いている。その先頭に無邪気な国民が立っているのだから、思うだに背中が寒くなる。
しかし悲観論をいくら並べても意味がない。そうならないために、考えて手を打つ必要がある。その意味では国会の存在が問われる。こうなれば与党と野党が、従来の行きがかりを一切水に流して互いにチエを出し合うより外はない。
与野党話し合いと聞くと多くの国民はスグ妥協と受け取るが、そうではない。本番を迎えるための陣揃いだ。(I)