共産の暴力革命 事実誤認でも「デマ」でもない


 安倍晋三首相は国会で、日本共産党について「暴力革命の方針に変更はない」と答弁した。これに対し、志位和夫共産党委員長は記者会見で抗議し、撤回を求めた。しかし、これは同党の言う事実誤認でも「反共デマ」でもない。同党はスマイル・ソフト戦術で野党連合政権の樹立まで提唱しているが、革命政党の本質を見誤ってはならない。

党史捻じ曲げ責任転嫁

 安倍首相は野党議員から共産党を破壊活動防止法に基づき調査している理由を問われ、「現在も、暴力革命の方針に変更はないものと認識している」と指摘。戦後の一時期と断った上で「各地の党組織や党員が殺人や騒擾(そうじょう)などの暴力主義的破壊活動を行った疑いがある」と語った。

 これに対し、志位委員長は会見で「党が分裂した時期に一方の側が取った誤った行動はあった」とする一方で「党として破壊活動の方針を取ったことも、実行したこともない」と反論した。だが、指摘したいのは、宮本顕治、不破哲三といった歴代委員長が党史を捻(ね)じ曲げてきたことが根拠となり志位氏の反論となっている点である。

 党が分裂した1950年以降の数年間の共産党最高指導者は、徳田球一書記長らだった。彼らが起草した「51年綱領」は「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがい」とし、「武装の準備と行動を開始しなければならない」という「軍事方針」と共に採択された。その下で組織された山村工作隊や中核自衛隊が、警察官殺害、テロ、窃盗など多数の事件を全国で引き起こした。

 当時の大手新聞には「目指す相手は必ず暗殺」「武力革命を急ぐ日共の実体」などの大見出しの記事が頻繁に掲載された。52年衆院選で35議席からゼロ議席になったのは当然のことだった。それを志位氏は「一方の側」の責任であると転嫁し、国民への謝罪はしないのである。

 もう一つ志位氏が会見で強調したのが、「敵の出方論」=「暴力革命」が成り立たないことは31年前に決着済みという点だ。共産党がしばしば引用するのが、89年の衆院予算委員会での石山陽公安調査庁長官(当時)と不破副議長(同)との論戦の内容である。

 共産党は、敵の出方論を口実にした暴力革命論は「全面的に破綻した論理」と一方的に決め付けている。だが、石山長官が指摘したように不破氏の説明は不十分であり、暴力革命の疑惑は変わらずに残っているのである。公安調査庁が破壊活動防止法に基づく調査対象団体として共産党に目を光らせ続けているのは当然である。

議事録削除に応じるな

 ところが、国会では共産党だけでなく立憲民主と国民民主の両党も首相発言を「不適当だ」とし、首相の謝罪と撤回、議事録の削除を求めていくという。民主党政権下、政府・与党の側から共産党を監視対象にしていた両党の代表は、見解を改めたのか。むしろ「暴力革命戦術は一切取らない」ことを共産党に約束させるべき立場のはずだ。暴力路線も取り得る疑惑がついて回る政党と選挙戦で協力しても奏功することはないだろう。