党員学者を党中央が直接指導 篠原常一郎氏に聞く
日本学術会議は、そもそも連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策の一環として昭和24年に創設された。
当時GHQには、アメリカ合衆国共産党員がたくさん入っていた。コミンテルン日本代表、初代日本共産党議長を務めた野坂参三は謎の多い人物で、大戦中、中国の延安で対日プロパガンダのために日本人捕虜の再教育を行っていた野坂が、昭和21年すんなり帰国できた裏に合衆国共産党の力があった。これは野坂と親しかった党幹部に聞いた話だ。野坂は実は英国共産党員でもあり、英米の共産党はものすごく関係が深く、陰で繋(つな)がっていた。
当時、コミンテルンは、合衆国共産党党員を積極的に軍の諜報(ちょうほう)部門に入りこませていた。日系の情報将校にも実は共産党員が多かった。野坂を担当したのも日系人将校で、彼らを通して、日本共産党とGHQが蜜月時代にあった。
GHQはさまざまな改革を米国が押し付けた形にならないよう、日本の進歩的な人々を中心に民主化のための審議委員会を幾つもつくったが、委員の半分くらいは共産党系だった。こういう雰囲気の中でつくられたのが日本学術会議だ。
共産党は、こうして浸透した学術会議をどういうふうに動かしてきたのか。
学術会議構成員に入った党員学者に対しては、党中央委員会が直接指導できる体制を維持し、定期的に「グループ会議」(学術会議内での共産党フラクション会議)を開いて、種々の事態で学術会議をどのように利用するか意思統一が図られる。実際の司令塔は党の副委員長が担当している。新会員として総理大臣に任命させるリスト、これも共産党のグループ会議に議題で入っている。これは共産党の普遍的なやり方だ。
共産党に近い組織で、全日本民主医療機関連合会(民医連)とか全国商工団体連合会(全商連)とか全建総連などは役員を中心に共産党員が配置されている。これらは共産党とは関わりのない財政と規約を持った独立体として運営されているはずなのだが、それがなぜがっちりと共産党のサブ団体のように動くかというと、その中の共産党員は直接ほかから切り離して役員にする。
役員というのは選挙で選ぶものだが、高齢や病気を理由にやめる際、放っておけば共産党員でない人が入って共産党に従わないということになれば、ばらけてしまう。そうしないために、どの人を共産党員から引っ張り上げるか、極端な話、共産党員が役職に足りなければ、適当な人を入党させて、共産党員として教育して役員にする。学術会議も同じような感じだ。
学術会議の会員のうち、共産党員やそのシンパはどれくらいいるか。
210人のうち、党員ないし支持者を入れれば7割くらいと思われる。こういうと、そんなわけはないだろうと言われるが、そんなことがある。自然科学の学者党員はぐっと少なくなるが、党員でなくても傾向のいい人を誘う。今回、拒否された6人のうち3人は法学だ。そういうこと一つ一つに表れている。
腹くくって民営化を
昔は選挙制で、共産党員が多くて、これが問題だと昭和58年に推薦制に変わっていった。
誰がどういう見通しを立てたか知らないが、それこそ思うつぼだ。自分の後輩の共産党員の推薦を許しているわけだ。それが実際に行われてきたことは間違いない。もともと師弟関係が強い世界だからそれを利用しているし、話が飛ぶようだが教科書検定調査官もそういうかたちで20年かけて左派が占領した。検定意見の担当者を一人一人見ていけば分かる。担当者を洗ったら、毛沢東の研究など左派の研究をやっていた。なんでこんな人間が世界史の検定ができるのか、信じられない学問実績しかない。それは党派的にやっているからだ。一応、一般公募試験を行うと言っているが、推薦された人が形だけの試験を受けて入ってくる。文科省も波風立てたくないから、なあなあでやってきた。
共産党の影響力を排除し、偏りのない組織にするにはどうしたらいいか。
怖いのは時間をかけてやってきていることだ。言うなれば、70年かけてこうなった。本当に変えたいのであれば、制度改革だ。学術会議というものが国の予算で賄われて、総理が任命するという仕組みを残しながらでは、長い時間がかかってしまう。むしろ民営化だ。企業から支援を受けるなり、ファンドを募るなり、自由にやればいい。そのくらい腹をくくってやらないと、影響を切るといってもこれは難しい。思想信条で線を引いたら憲法違反になってしまう。
(聞き手=日本学術会議問題取材班)