危機に直面する日本の原子力

元原子力委員会委員長代理(福島原発事故独立検証委員会委員) 遠藤 哲也

「国策国営」で再生を図れ
エネ安保・温暖化対策に不可欠

遠藤 哲也

元原子力委員会委員長代理(福島原発事故独立検証委員会委員) 遠藤 哲也

 2011年3月の福島第1原発事故以前は、日本の原子力は54基が稼働しており、総発電量の約30%を供給していた。核燃料サイクル、原発の海外輸出も含めて、その未来は輝き、原子力のルネサンスの到来もささやかれていた。ところがこの事故によって事情が一変した。事故から8年以上が過ぎた現在、何とか稼働している原子炉はわずか9基、そのうち4基は来年にはテロ対策工事のため停止となる可能性がある。廃炉されることになったのが24基である。

 残りの原子炉については、原子力規制委員会の許可が下りても地元との関係で、すんなりと再稼働できるかどうか、楽観できない。このような状況が続くと、最悪の場合、今世紀の中頃には日本から原子力が消えてしまうことになりかねない。

進まぬ核燃料サイクル

 加えて、日本の原子力は幾つかの深刻な問題を抱えている。一つは原子力政策の基幹としてきた核燃料サイクルが順調に進んでいないことである。再処理によるプルトニウムの抽出と高速増殖炉を2本柱としているが、六ヶ所村の再処理施設の建設も遅れに遅れ、高速増殖炉「もんじゅ」も廃炉が決定され、今後の進め方について目途(めど)が立っていない。

 二つ目は人材の供給である。原子力は複雑かつ巨大な科学技術のかたまりで、この建設、運転、保安、廃炉には現場経験を長年積んだ、有能な人材が不可欠である。今のような状況が続くと、現場力の低下は避けられず、人材の供給、育成に深刻な問題が生じ、安全面にも影響力を及ぼしかねない。

 三つ目の高レベル放射性廃棄物の処理については、深い安定地層への埋設が科学的、地質学的には最も望ましいとされているが、引き受ける地元との関係が難しく、今後の課題である。

 このような八方塞(ふさ)がりの日本の原子力に対して、手をこまねいてよいのか。日本にとって、原子力は二つの主たる側面がある。一つはエネルギーの経済的な安定供給、つまりエネルギーの安全保障であり、いま一つは地球温暖化対策である。

 まず前者についてだが、現在の日本のエネルギー自給率は10%以下で、先進国最低の水準であり、しかも輸入エネルギーの大半は化石燃料の多くを政治的に不安定な中東に頼っている。脆弱(ぜいじゃく)なエネルギー自給率を高めるのは、原子力と再生エネルギーの二つだろうが、原子力については、準国産エネルギーとして総発電量の2割強は確保したいものである。

 後者の地球環境問題は世界の喫緊の問題で、そのためには、温暖化ガス(主としてCO2)の排出を抑えることである。それには化石燃料に代わるエネルギー源として、原子力と再生可能エネルギーに頼るしか現実的な方法がない。日本はパリ協定(2015年)の下で、30年度には13年度比で温暖化ガスを26%削減することを約束し、50年度までに80%減らすことを宣言しているが、これまでの実績は芳しくない。再生可能エネルギーの開発は大切だが、本質的に供給不安定であり、これを補う大容量の蓄電装置の開発には時間がかかるし、それまではバックアップの電源が必要である。従って現実的には日本としては、エネルギーミックスとして、ある程度の原子力は不可欠であり、これに頼らざるを得ない。

 このような状況に陥った最大の原因は福島第1原発であり、これによって国民の信頼を失い、事故から8年以上経った今も原子力に対する国民の支持は低迷している。マスコミの調査によれば、6~7割は反対ないし懐疑的である。関西電力のスキャンダルも追い打ちをかけている。原子力再生のためには、国民の支援を回復することに尽きる。

 原子力安全の強化と国民への説明は必要な条件ではあっても十分ではない。何より気に掛かるのが政府の及び腰である。確かに政府は再稼働などについて、一応前向きの態度を示してはいるが、他方、肝心のエネルギー基本計画では、可能な限り原子力依存度を下げると消極的とも取られる立場を示し、30年度までに電力のうち原子力比率を20~22%にするとの目標を掲げてはいるものの、具体的な道筋、計画も示していない。

指導力発揮すべき政府

 エネルギーの安全保障や地域環境の保全は一義的に政府の責任と仕事であり、情緒的かつ短期的な視野になりがちの世論を恐れることなく、冷静に国益に合った政治リーダーシップを発揮すべきである。ポピュリズムに際しては、国家百年の計を失ってしまう。従って、原子力は「国策国営」で進めていくべきである。

(えんどう・てつや)