自衛隊人材確保の厳しい現状

拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久

少子化で隊員募集難しく
民間企業が支える予備役制度

濱口 和久

拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授
濱口 和久

 平成23(2011)年3月11日に起きた東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)では、自衛隊は災害派遣としては最大規模のオペレーションを実施した。人員約10万7000人(陸上自衛隊約7万人、海上自衛隊約1万5000人、航空自衛隊約2万1600人、福島第1原発対処約500人)を動員。予備自衛官も初めて招集された。航空機約540機、艦艇59隻が派遣された。

 活動実績は、人命救助1万928人、遺体収容は9487体。物資等輸送は約1万1500㌧、医療チーム等の輸送は1万8310人、患者輸送175人。給水支援が約3万2820㌧、給食支援が約447万7440食。入浴支援は約85万4980人、衛生等支援は約2万3370人に上った。

 自衛隊の活動する姿は、東北の被災地の人たちだけでなく、日本全国から高い信頼を得たことは記憶に新しい。国民の多くが災害時の自衛隊の活動に期待していることは、世論調査の結果などからも明らかだ。東日本大震災後も、地震や風水害が絶えない。そのたびに自衛隊は出動している。

 国防担う庶民層出身者

 今後起こることが予想されている南海トラフ巨大地震などの広域災害の場合、陸海空自衛隊約23万人だけで対応できるかは甚だ疑問だ。それに加え、少子化の中で、新隊員の募集状況も悪化している。

 今後、少子化は新隊員を確保するうえで、深刻な問題となってくるだろう。現状でも、充足率を下回っている部隊や艦艇が数多くある。安定的に新隊員を確保できなくなれば、自衛隊は機能麻痺(まひ)状態となる。さらに言えば、自衛隊の装備品がどんなにハイテク化したとしても、操作する人がいなければ、ただの高価なガラクタと同じである。

 誤解を恐れずに申し上げれば、戦前は、富裕層(財閥など)や地方の名家(豪農など)の子弟は軍隊にほとんど入っていない。陸軍士官学校や海軍兵学校への入学者もしかりだ。戦後も、自衛隊への入隊や防衛大学校への入学者のほとんどが、庶民の家庭の子弟だ。戦前も戦後も、日本の国防を担っているのは、庶民層の出身者だ。

 国防も、災害派遣も、国際貢献も、自衛隊は人が全てであり、少子化は自衛隊にとっては死活問題なのだ。

 諸外国では普段から、いざというときに必要となる国防力(防衛力)を急速かつ計画的に確保するため予備役制度を設けている。自衛隊も、予備役制度に相当するものとして、予備自衛官制度、即応予備自衛官制度、予備自衛官補制度という三つの予備役制度(予備自衛官等制度)を設けている。

 予備自衛官制度の歴史は、昭和29(1954)年の自衛隊発足と同時に始まる。平成9年に予備自衛官制度に加え、予備自衛官よりも即応性の高い即応予備自衛官制度が導入された。平成13年からは国民に広く自衛隊に接する機会を設け、将来にわたり予備自衛官の数を安定的に確保するため、民間の専門技能を活用し得るよう予備自衛官補制度も導入される。予備自衛官、即応予備自衛官、予備自衛官補は、それぞれ普段は社会人や学生としての生活を送りながら、自衛官として必要とされる練度を維持するための訓練に参加しなければならない。

 大震災時に予備役招集

 東日本大震災では、招集された即応予備自衛官は、陸上自衛隊部隊の隊員として、主に被災地の岩手県・宮城県・福島県の沿岸地域に派遣され、給水支援や入浴支援、物資輸送などの被災者に対する生活支援活動や、捜索活動等を担った。予備自衛官は、救援活動を実施している米軍の通訳、医療、部隊の活動を支援している駐屯地業務隊の業務などに従事した。

 実際の招集の内訳は、民間企業などの勤務を休んで参加することを考慮して、1週間から2週間を単位として、即応予備自衛官は延べ2179人が、予備自衛官は延べ441人が招集された。

 今後、民間企業の協力と理解がなければ予備役制度を存続させることは難しい。予備自衛官等を雇用している民間企業も、日本の防衛の一翼を担っているのである。

(はまぐち・かずひさ)