「極北」に至った日韓関係

東洋学園大学教授 櫻田 淳

「上下秩序」の意識今も
朝鮮半島に「恨」残した併合

櫻田 淳

東洋学園大学教授 櫻田 淳

 日韓関係の悪化は、既に「極北」に至った感がある。

 「読売新聞」(6月10日配信)に拠(よ)れば、読売新聞社と韓国日報社が5月下旬に実施した共同世論調査の結果、日本で韓国を「信頼できない」とした層は、前回2018年調査時の60%から74%に上昇した。

 これは、「同じ質問をした1996年以降14回の調査で最も高い」数値のことである。それは、2014年と15年に付けた73%という数値を超えるものとなっている。

日本の方が姿勢を硬化

 日韓関係の評価についても、日本で「悪い」とした層は、前回調査時の63%から83%に上昇している。それは、14年の87%、15年の85%に次ぐ高い値である。韓国で日本を「信頼できない」とした層は、前回調査時から微減した75%である。

 韓国で日韓関係を「悪い」と評した層は、前回調査時の69%から82%に推移している。韓国よりも日本でこそ、相手に対する姿勢は硬化している。

 「読売新聞」記事は、この現状について、「元慰安婦や元徴用工などを巡る問題が影響したとみられる」と評している。しかし、日韓関係の現在を把握する際には、そのような表層的な事由を求めるよりも、深く歴史を遡(さかのぼ)った考察が大事であろう。

 平野聡東京大学教授の著作『「反日」中国の文明史』(ちくま新書)書中には、「中国文明の大前提は、万物をつなぐ『天理』としての上下秩序にある」と記される。清朝成立以後、この「上下秩序」意識に本家以上に凝り固まっていたのが、朝鮮王朝であった。

 時の朝鮮王朝の認識では、夷狄(いてき)が築いた清朝よりも自らこそが中華の「礼」を体現する存在であり、その故にこそ、「朝鮮―中華・格上/日本―野蛮・格下」という図式は自明であった。

 平野教授に拠れば、現在では江戸期における日朝交流の一風景として語られる朝鮮通信使の往来もまた、「朝鮮からすれば、上国が野蛮国に《文明》の恩恵を施す」演出に他ならなかったのである。

 明治以降の日本は、「文明圏域」としての中国・朝鮮半島を覆う「上下秩序」意識に従わず、それを一蹴する振る舞いに走った。というのも、日本にとっては、万国の「平等」を趣旨とする西洋国際秩序の受容こそが、近代の証明であったからである。

 それだけではなく、福澤諭吉が「脱亜論」で記した意図とは裏腹に、日露戦争を経た日本は、朝鮮半島それ自体の併合に踏み切った。永らく「格下・野蛮」と観(み)ていた日本に国土を奪われたという屈辱にこそ、現在に至る朝鮮半島2国の対日遺恨の根がある。

 前に触れた平野教授の書は、こうした朝鮮半島の遺恨を残したという点で、韓国併合が近代日本外交史上の失策であると評している。

 故に、韓国が望むような日韓確執の落着は、「日本は本来、自らよりも格下であるはずなのに…」という朝鮮半島の「恨」が晴らされる体裁によってしか、究極のところは成らない。

 しかし、そうした落着は結局、成るまい。韓国の人々は、たとえばスポーツ競技での対日勝利を通じて「朝鮮―格上/日本―格下」という図式を散発的に確認したとしても、日本と韓国・北朝鮮との全般的な国力の逆転が生じるとは、予見できる将来には考え難いからである。

意味がない情緒的試み

 日韓関係の険悪な状態は、既に「規定事項」である。これを改善させようという情緒的な試みは、もはや意味がない。今は、「どのような利益を巡ってならば協調が図られるか」という観点から、日韓両国は、ドライな関係を切り回す他はないのであろう。そうした認識の上に立つことにしか、日韓関係の先々の展望を開く方途はない。

(さくらだ・じゅん)