フォークランド紛争と尖閣諸島
エルドリッヂ研究所代表、政治学博士 ロバート・D・エルドリッヂ
日本はサッチャーに学べ
信念を持って対処した英首相
筆者は読書が好きで、楽しむだけでなく仕事である学術目的で数多くの本を読んでいる。中でも、伝記や回想録はお気に入りの分野だ。今年、これまで読んだ本で最も良かったものは、1979年から90年まで英国首相を務め、2013年に87歳でこの世を去ったマーガレット・サッチャー女史の自叙伝(1993年刊行)だ。
サッチャー氏は保守強硬派の中曽根康弘元首相と良い関係を築いていたが、その前任者で社会党出身だった鈴木善幸元首相とは厳しい関係にあった。サッチャー政権初期の日本とのあつれきは自叙伝の中ではっきりと記されている。
武力行使批判した日本
領土をめぐりアルゼンチンと争い、英国軍が武力行使したフォークランド紛争(82年)の間、サッチャー氏にとって日本ほど失望した国はあまりなかった。
日本は当時、国連安全保障理事会の非常任理事国だった。その立場から、アルゼンチンの侵略を、「平和維持の基本的原則と国連憲章が定めるところの武力の非行使に違反し、受け入れることはできない」としたが、日本はこう続けた。「われわれはアルゼンチン軍の即時撤退を強く望み、紛争は外交交渉を通じて平和裏に解決することを望む」。さらに日本政府は、フォークランド諸島に対する英国領有権について明らかな立場を取らなかった。
日本の希望とは違い、アルゼンチン軍事政権はフォークランドから軍隊を撤退させなかった。しかも日本は、サッチャー氏がアルゼンチン軍を撤退させる手段に武力行使を選択したことで、英国を批判した。この事実は当然のことながらサッチャー氏を深く失望させた。
6月はフォークランド紛争が終結した月(13日)に当たる。10週間にも及ぶ無駄な外交努力と1万2000㌔も離れた諸島をめぐる戦いで、650人のアルゼンチン人と225人の英兵士が犠牲になった。
6月は日米両政府が沖縄返還協定に署名した月(17日)でもある。尖閣諸島を含む南西諸島の施政権が日本に返還された。返還を前に、中華民国と中華人民共和国は尖閣諸島の領有権を主張し始め、米政府は尖閣に対する同盟国の日本の主権について立場を明確にしないひどい過ちを犯した。その結果、中国の根拠のない主張に一定の正当性を与えてしまった。これについては拙著『尖閣諸島の起源―沖縄返還とアメリカの中立政策』(名古屋大学出版会、2015年)に詳しい。
サッチャー氏の自叙伝を読むと、日本がフォークランド紛争の時、英国の行動を全面的に支持しなかった皮肉と先見の明のなさに気付く。尖閣などの同じような領土問題を抱いている日本は、その教訓を学んで、反省してほしい。
フォークランド領の人口は約3500人、サッチャー氏は一貫してブレない信念で紛争に対処した。国内政治とメディアにアルゼンチン軍事政権の意図を理解させようとした。また、仲介を試みたもののうまくいかなかった米国をはじめ、欧州や国連など世界中の同盟と交渉や協議をしなければならなかった。彼女は強い確信、目的意思、国家の威厳を備えた文字通り立派な為政者だった。
行動せねば衝突不可避
日本の政治家は尖閣諸島が奪われない限り気付かないのだろうかと正直思う。筆者はこれまで、日本政府や専門家に尖閣諸島の真の実効支配を行使する必要があると何百回も警告してきた。具体的には、国家あるいは地方公務員の常駐をはじめ、気象観測所や灯台、ヘリポート、漁船のための港など公的機関を設置することだ。こうした行政措置はその性質上、誰も挑発せず非軍事的だ。実際、国際公共財として機能し、国際社会に寄与し、日本の施政権や主権を明確にする。不明確さを取り除き、世界中にきっぱりと日本のものであると遠慮なく主張できるのだ。
こうした手段を踏まなければ、日本が確信も自信もなく何ら行動しないことをいいことに、中国は大胆な行動を取るようになり、衝突は避けられない。その際、日本は英国と同じようなブレない反応を示すことができるはずがない。ましては鈴木氏のような決断力のない政治家であればなおさらだ。