「象徴」としての天皇と日本人

秩父神社宮司 薗田 稔氏に聞く

 平成から令和への御代代わりと、それに際しての上皇陛下、天皇陛下のお言葉は多くの日本人に好感をもって受け止められ、日本人としてのアイデンティティーを高めた。民俗学にも詳しい薗田稔秩父神社宮司に、歴史的かつグローバルな視点から令和の時代と天皇について伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

日本的王権の概念に
神道の本質は宗教文化

元号「令和」の感想は。

薗田稔氏

 そのだ・みのる 昭和11年東京都生まれ。東京大学で宗教学を学び、國學院大學教授、京都大学教授など歴任し現在は京都大学名誉教授。宗教学や民俗学の視点から神道、日本宗教史を研究し、国際社会に神道文化を発信、武甲山を神体山とする秩父神社のある秩父市では、祭りによりまちづくりを進めている。 昭和11年東京都生まれ。東京大学で宗教学を学び、國學院大學教授、京都大学教授など歴任し現在は京都大学名誉教授。宗教学や民俗学の視点から神道、日本宗教史を研究し、国際社会に神道文化を発信、武甲山を神体山とする秩父神社のある秩父市では、祭りによりまちづくりを進めている。

 「令」という字を付けたのは今までにないことです。万葉の時代までさかのぼっての元号には驚きましたが、万葉集の序文も漢文ですから、和漢両用の言葉と言えます。今の日本はグローバリゼーションの中で厳しい時代なので、本来の文化に立ち戻ることには、大きな意味があると思います。西暦は文明ですが、元号は文化だと思います。

出典となった『万葉集』の序文は、天平2(730)年正月、九州・大宰府の長官、大伴旅人の屋敷で梅の花を愛(め)でる宴会が開かれた折のものです。

 「春の非常によい月になった。空気がよく、風が和らいでいる」という意味の部分から「令和」が採用されました。「風が和らいでいる」のは春が訪れたからだけではなく、663年の白村江の敗戦による国家存亡の危機を脱したことが背景にあります。それまで国土防衛のため、東国からも防人(さきもり)が九州北部に派遣されていました。それが停止されたのが天平2年です。676年には新羅が朝鮮半島を統一し、連携していた唐と対抗するようになり、唐が日本に侵攻する恐れが少なくなったからです。防人を統括する役所の大宰府で、梅を愛でながら平和の訪れを喜ぶ宴会が開かれたのでしょう。

 当時の日本が大化の改新により天智・天武天皇が律令国家づくりを目指したのは、欧米列強の侵略に対抗して明治維新が起きたのと似ています。古代にも近代化があり、大化の改新以来の律令化がそれです。制度としては中国化ですが、そうすることで中国にのみ込まれない国にした。明治には、欧米列強をモデルに近代国民国家として立憲君主制の国づくりをしました。

 神道の世界では、天武天皇の時代に伊勢神宮の式年遷宮(せんぐう)や天皇の大嘗祭が始まっています。大嘗祭の形が整ったのは持統天皇からです。ですから単なる唐の模倣ではなく、律令制を正当化させる天皇制を同時並行で確立させています。

明治天皇は自ら立憲君主たらんとされ、憲法制定にも熱心でした。昼間は洋装でしたが、夜には和装を好まれたそうです。

 古い伝統を守っているから、最先端のグローバル化にも対応できるのです。そういう天皇なので、今200近い国の中で王政を保っているのは25~26で、権力を正当化する権威としてあり続けているのはイギリスなど数カ国です。連綿として皇位が継承されていることが文化の一貫性を確保していると言えます。今は国民に由来する権力ですが、議会制度にしても、行政・司法という社会的、世俗的な制度にしても、それらを神聖性を持ちながら根拠付けているのが天皇という存在で、世俗を超えた連続性です。現憲法では天皇は国民統合の象徴とされていますが、象徴とは見える世界を超えた存在を表現し、日本的王権の概念とつながっています。

神道はどんな宗教ですか。

 私は宗教の在り方には、文化としての宗教と教団としての宗教の二つのタイプがあると考えています。神道とりわけ神社神道の本質は宗教文化で、教団宗教ではありません。公共的な共同体の文化としての宗教であり、個人の信仰は問いません。全国の地域社会に、民の公共を守る神の在り方として、鎮守の森や氏子組織があり、古代国家もそれに支えられていました。地域で神を祀(まつ)る公共性を持った宗教の在り方は、個人が信仰に基づいて形成する教団を阻害するものではありません。その宗教の二つの在り方がバランスよく成り立っているところが、日本社会に安定をもたらしています。

 戦前のいわゆる国家神道には、「強制」的要素がありましたが、戦後に解消され、本来の神道に戻っています。四季の移ろいや農作儀礼の祭りとして継承されている文化としての宗教には、行政の関与も認められています。

仏教も日本化しています。

 特徴的なのは仏性観で、「山川草木悉皆成仏」が宗派を超えて共通の自然観、仏性観になります。仏教の奥深い思想でありながら、すべての存在に命を認める日本人の生命観に対応し、氏神信仰とも対立しません。

 万物に命を認める日本人の感性に、深い霊性を与えたのが世界宗教である仏教で、その意味で仏教の受容は素晴らしい。仏教は本来、家族を捨てる出家主義を唱えながら、日本では在家を大事にするようになり定着します。信仰は個人の内面の問題だとしながら、先祖に対して日本人本来の霊の祀り方を踏襲しているのは、共同体あっての祖霊信仰だからです。

天皇の象徴性とは?

 天皇は日本国の文化や歴史、国民統合のアイデンティティーというお姿を超えたものをお持ちなので、そうした振る舞いに、人々も人格を超えて、日本全体を感じているのではないかと思います。ある意味では一種の世襲カリスマですね。天皇の人格に触れた人は、周りの人たちにも同じように接したくなり、それが復興の力にもなっています。天皇はあるべき日本人を体現しておられるように感じます。

秋には大嘗祭があります。

 上皇陛下は私より3歳年上なので、皇太子というなじみはありましたが、果たして天皇という実感を持たせてくださるのか、自分の気持ちを見届けたことがあります。天皇として腑(ふ)に落ちたのは大嘗祭でした。映像でその一端を拝見しましたが、本当に真剣になされたそうです。天皇の私的行事だが国の大事な行事として公費で行われます。

 大嘗祭の施設は終わると直ちに取り壊されます。その時以外に成り立たない、異次元の時空間における特異な行事で、だからこそ祭りの文化なのです。