「大嘗宮の儀」を考える
哲学者 小林 道憲
太陽、稲、天皇の再生祈る
約束される永遠の生命と豊穣
大嘗宮の儀は、悠紀殿(ゆきでん)供饌(ぐせん)の儀と主基殿(すきでん)供饌の儀の二つから成る。それは、日本を代表する悠紀国・主基国から収穫された米などを宮中に集め、それを煮炊きした御飯やそこから醸造した酒などを神々に供し、その神饌(しんせん)を天皇が神々と共に食すという儀式である。同じ儀式が悠紀殿と主基殿で行われるのが、大嘗宮の儀である。だから、これは、宮中で毎年行われている新嘗祭と基本において変わりはない。
最高の祭司である天皇
大嘗宮の儀の一連の儀式を解釈していくなら、天皇とは一体何か。悠紀田・主基田より集められた収穫を神々に供えられる天皇は、神を祀(まつ)る人であり、祭司の役割を果たしている。日本の全ての人心を一つに集約し、その年の収穫を神々に感謝し、報告するとともに、来年の五穀豊穰(ほうじょう)を神々に祈る祭祀(さいし)王が天皇であることになる。天皇とは、そのような神々を祀る最高の祭司なのである。
しかし、この大嘗祭をもっと詳しく見ていくなら、日本人の心の最古層にある古代の生命観、霊魂観が隠されていることに気付く。
大嘗祭、同じことであるが新嘗祭は、もと冬至の祭りであった。旧暦、霜月23日深更、月が西の空に傾く頃、太陽は大地に沈み、その霊力は一年中で最も弱くなる。その最も弱くなった太陽の霊力の復活を祈る儀式が、冬至の祭りであった。
太陽の力が最も弱まる日は、同時に、そこから再び太陽の力が復活してくる日でもある。しかも、この太陽の霊力は、その太陽の霊力によって育まれる穀霊とも深く繋(つな)がり、冬至の夜は、穀物がその霊力を回復する時でもある。だから、大嘗祭にしても、新嘗祭にしても、夜から夜明けにかけて行われる。最も深い闇の後に夜は明け、再びもの皆息を吹き返す。このとき、宇宙はいったん始源に帰って、そして再生する。大嘗祭は、大地の生命力の再生を祈る儀式だったのである。
農耕民族は、どこでも穀物に永遠の生命力を見ている。そこには、特に稲の生命力の永遠への信仰がある。新嘗祭も、単なる収穫祭とか感謝祭というにとどまらず、稲の霊の永続を願う祭りでもあった。それが、稲を育てる大きな力となる太陽の生命力の永遠を願う祭りと合一しているのが、新嘗祭であり大嘗祭なのである。
冬至、大地の生命力の再生する日、穀母も次の年の新しい生命を身籠(みご)もる。大嘗祭は、神々に供えた神饌を天皇が神々と共に食される儀式であったが、しかし、それは、神饌を食すということによって、神饌によって象徴される穀霊と、それを育む穀母つまり太陽の霊力を、天皇が自らの体内に宿し、その再生を祈る儀式でもあった。
大嘗祭は太陽と大地の生命力の再生を祈る祭りであり、そのことによって生命力の永遠と豊穰が約束される儀式である。太陽は、農耕民族にとって最も身近に感じられた偉大な力であった。この偉大な太陽の力に育てられる稲が霊力を持った神であり、人間に生きる糧を与え、生命力を養ってくれるものと信じられたのも、稲作民族にとって当然のことであった。そこには、太陽の永遠の生命力への信仰がある。
息づく古代人の生命観
大嘗祭は、太陽、稲、天皇、この三者の永遠の生命を祈る儀式であり、再生の儀式なのである。そのような古代のわが国の人々の信仰が、この大嘗宮の儀に表現されているとみてよいであろう。そこには、われらの祖先の抱いた深く豊かな生命観が息づいている。
(こばやし・みちのり)











