日露国境線の変遷と北方領土

濱口 和久拓殖大学大学院特任教授 濱口 和久

17世紀に4島の統治確立
ロシア領には一度もならず

 11月14日、安倍晋三首相はシンガポールでロシアのプーチン大統領と会談した。「1956年の日ソ共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる」ことで両首脳は合意。日ソ共同宣言では平和条約締結後、「歯舞群島、色丹島」を返還することになっていたが、今回の安倍・プーチン会談では、これに「+α」とするとしている。現時点では、「+α」の意味するところは明らかになっていない。

 「今回が最後のチャンス」と主張するロシア問題の専門家や一部の政治家もいる。だが、今までも「今回が最後のチャンス」と言われながら1㍉も交渉が進展したことはなく、今回も同じ結果になる恐れが十分にあるだろう。

 日本の従来からの主張は「国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島」の4島一括返還だ。ここで改めて、日本が4島一括返還を主張する根拠となる日露間の国境線の変遷について触れておきたい。

 日本はロシアよりも早く、北方4島、千島列島および樺太の存在を知り、正保元(1644)年には国後島、択捉島の地名を明記した地図(正保御国絵図)が編纂(へんさん)され、多くの日本人がこの地域に渡航している。松前藩は、17世紀初頭より北方4島を自藩領と認識し統治を確立していた。それに対して、ロシアは18世紀初めにカムチャツカ半島を支配した後にようやく千島列島の北部に進出し、日本と接触するようになる。寛政4(1792)年にはロシアの使節ラクスマンが根室に来訪して日本との通商を求めてくる。

 徳川幕府は鎖国政策をとっていたため、通商を拒否し、間宮林蔵、近藤重蔵らを国後島、択捉島、樺太にそれぞれ派遣して現地調査を行い、これらの地域の防備を固め、択捉島およびそれより南の島々に番所を置いて外国人の侵入を防いできた。ロシアも千島列島に調査隊を派遣したが、得撫(ウルップ)島より南にまで進出してくることは一度もなかった。

 日本とロシアの間で初めて国境線が確認されたのは、安政元(1854)年2月7日に伊豆半島の下田で締結された日露通好条約(下田和親条約)である。この条約によって得撫島と択捉島を分けるフリーズ海峡に国境線が画定された。それより南の島々(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)が日本領土とされ、樺太は日露両国民の「混住(雑居)の地」と決められる。

 明治8(1875)年5月7日、日本はロシアと樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)を締結する。この条約第2条には、日本がロシアから譲り受ける島として、占守(しむしゅ)島から得撫島までの18の島々の名前が明記されているが、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の4島は含まれていない。このことは、4島が一度もロシアの領土になったことのない日本固有の領土であることを物語る証拠である。

 その後、樺太に関しては明治38年9月5日の日露戦争終結の際に締結されたポーツマス条約によって、北緯50度以南の南樺太をロシアから譲り受け、豊原(露名・ユジノサハリンスク)に樺太庁を設置して、昭和20(1945)年8月まで経営していた。

 日本人の多くは、北方領土と言う場合、国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島の北方4島のみを指していると思っているかもしれないが、それは大きな間違いである。

 日本がロシアに対して領有権を主張できる北方領土の領域とは、次の理由から北方4島に加えて、千島列島と南樺太も含まれる。

 大東亜戦争に敗れた日本は昭和26年9月、サンフランシスコ講和条約に署名し、昭和27年4月28日に主権を回復した。この条約では南樺太と千島列島の「権利、権原、請求権」を放棄したが、これらの地域が最終的にどこに帰属するかについては何も定められていないのだ。旧ソ連は昭和21年2月、最高会議幹部会令によって北方4島を自国に編入し、昭和24年までに全ての日本人島民を強制退去させた。

 そもそも昭和21年4月まで有効であった日ソ中立条約を一方的に破棄し、米国との和平の仲介を依頼していた日本に対し宣戦布告した旧ソ連は国際法違反(中立国としての義務違反)と言わざるを得ない。

 旧ソ連は領土不拡大の原則を謳(うた)った大西洋憲章にも参加しており、明らかにこの憲章に違反している。日本が受諾したポツダム宣言はカイロ宣言の履行を謳っている。カイロ宣言では「日本が暴力および貪欲により奪取した地域を返還させる」となっているが、千島列島、南樺太は条約に基づいて日本領土となったものであり「暴力および貪欲により奪取した領土」ではない。

 以上のような歴史の流れがありながら、日本は大東亜戦争後、一度も旧ソ連、そしてロシアに対して、千島列島と南樺太の返還を求めてこなかった。日本が合法的にこれらの領土を日本領としたことは、米国をはじめとして多くの国々が認めている。

 本来ならば、北方4島だけでなく千島列島と南樺太についても、日本は現在のロシアに対して返還を要求できる立場にあるのである。

(はまぐち・かずひさ)