人生の旅路とどう向き合うか
「生老病死」を見詰め直す
「病」は人生への気付きの時
今、「超高齢多死社会」に直面している我が国の現状は、100歳以上の高齢者は6万9785人(2018年)であり、加えて、年間の死亡者数は130万2000人(15年)で、さらに21年後の39年には166万人と推計されている。このような状況の中で「老い」と「死」の狭間(はざま)で「病」を受容しながら人生の旅路を日々歩む現実に直面していると思うのである。もとより「生老病死」とは、釈尊が出家する以前、太子であった時、東西南北の四つの市門から郊外に出遊し、老人・病人・死者・バラモンに会って、それぞれ人生に対する目を開き、出家を決意するに至ったという「四門出遊」(四門遊観)に由来し、以来、人生の苦悩の根本原因である生・老・病・死を「四苦」という。この「生老病死」の「四苦」は今日に到るまで、人生の最も重要なターニングポイント(転機)そのものである。
“我は生く、されどいかに久しきかは知らず。
我は旅す、されどいずくにか知らず。
我は死す、されどいつとは知らず。”
こう語ったのは、H・ホイヴェルス神父(東京四谷イグナチオ教会主任司祭)であるが、人生は果てし無き旅路そのものではなかろうか。
“旅人とわが名呼ばれん初しぐれ”(芭蕉)の如(ごと)くに、人生はこの世に生を受けては、束の間の儚(はかな)い生命(いのち)を精いっぱい生き続ける固有の一回性の旅路に他ならないのである。
その「人生の旅路」には、「四住期」(古代インドの思想)というプロセスがあるという(『マヌ法典』による)。
すなわち「学生期」としての自我の確立の時期、次に「家住期」としての実生活の時期、さらに「林住期」としての己れの人生を顧みる時期、そして最後に「遊行期」として人生最後の旅路を経て、再び生命の根源へと戻るという。それは各々、人生の四季としての「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」にも準(なぞら)えられる。
また「道教」(老荘思想)によれば、「働くために生まれ、憩うために老いが与えられ、そして休むために死が与えられる」という。すなわち“そもそも造物主は、わたしに肉体を与えてこの世に生み出し、わたしに人生を与えて苦労させ、わたしに老いを与えて安らかせ、わたしに死を与えて休ませる。それ故、自分の生をよく生きることが自分の死をよく死ぬ手立てとなる”(『荘子』大宗師篇)と。そこには、正しく「生死一如」の人生観を読み取ることができるのではなかろうか。
さて、改めて「老い」と「病」そして「死」について考えてみたいと思う。
「老い」の迫り来る心境について、兼好法師(吉田兼好)は次のように語っている。“一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなむ。日暮れて塗(みち)遠し。吾が生既に蹉陀(さだ)たり。諸縁を放下すべき時なり”(『徒然草』第112段)と。
すなわち「これまでの人生は、あれこれと雑用に振り回されていたが、もう既に日は暮れたが、まだ遣(や)り残したことが幾多あるので、こうなったら、これまでの一切の拘(かか)わりを投げ捨てなければならない時である」と。それ故に“末路晩年、精神百倍すべし”(「菜根譚(さいこんたん)」前集196)との洪自誠の言葉に励ましと慰めを得る思いである。
「病」とは、それは自分の人生への気付きの時ではないかと思う。
山室軍平(日本救世軍の創立者)は、こう述べている。“病は他人に対する思いやりを養わせ、人生の短いことを知らしめ、ことに著しいのは、病が自らを反省させることである”(『病床の慰安』1916年)と。このように、人は病んで初めて人生の深みへと到来するのではなかろうか。その意味では、河野進(詩人・牧師)の“私は病まなければ、人間でさえもありえなかった”(詩集「祈りの塔」)とは、これこそが「病の人間学」ではないかと思うのである。
さらに「死」について思い巡らせば、“死ぬことはこの世から消え去ることではなく、その人がこの世に生きていたという事実の証明である”と語ったのは作家・山本周五郎で“死は消滅ではなく、その生涯の完成である”と、その代表作『虚空遍歴』で述べている。
確かに、ドイツ語では人間の死を<sterben>と表現し、それは「充実して成し終えた」ということであり、それに対して動物の死は<verenden>で消え去ることを意味する。それ故に“死は人生の終末ではない、その人の生涯の完成である”(М・ルター)との言葉を改めて、味わい深く噛(か)みしめたいと思う。
これまで述べた人生の最大の出来事である「生老病死」を深く見詰め直し、その時々に直面する内面的な深みと向き合うことが取りも直さず、「人間学」(アンソロポロジー)的なアプローチではないかと思うのである。
終わりに、次の言葉を心に留めたいと思う。
“その日その日を人生の最初の一日とし、しかも、最後の一日であるかのように生きる”(エール大学ビリー・フェルプス教授)
(ねもと・かずお)






