明治維新の政治思想とアジア

小林 道憲哲学者 小林 道憲

伝統と近代を見事に融合
今世紀の諸国家を導く理念に

 今年は、明治維新から150年の年に当たる。明治維新を導いた政治思想とその後のアジアの政治思想について考えてみたい。

 ヨーロッパ列強の進出という未曽有の危難に際し、これを乗り越えるために、旧来の封建制度を打破して、斬新堅固な近代国家を確立しようと決意した幕末から維新にかけての私たちの祖先は、この危機に面して、わが国本来の国家経綸の理想を自覚した。それは、例えば、よく知られている1868年の『五箇条の御誓文』にも端的に表現されている。そこでは、何よりも広く人材を集めて会議を興し、重要政務は全て公正な意見によって決すべきこと、さらに、身分の上の者も下の者も心を一つにして、積極的に経綸を遂行すべきこと、かくて、朝臣武家の区別なく、さらには庶民の全てにわたって、各自の志望を達成できるように計らい、人々を失意の状態に追いやらぬようにすることが肝要であることなどが述べられている。

 ここには、国家の指導に当たる者は、広く国民の意見を聞き、国民と心を一つにして国政を行い、かくて国民各層がそれぞれの徳を実現するよう配慮すべきことが説かれている。また、国民の側も、指導者と心を一つにして広く国政に参加し、その志を遂げるようにすべきことも、説かれていると理解することができる。ここでは、江戸初期より培われてきた儒教の理想と、日本的な共同体の理想とが一つになり、その地盤の上に、新しいヨーロッパ近代の民主主義的理想が見事に融合され集約されていると言える。

 一方、時は20世紀に入るが、中国の自立運動の中で確立された孫文の三民主義も、これと同じ流れの中で理解できる。三民主義は、満洲民族や諸外国の支配からの独立を目指す〈民族主義〉、政治的平等と権力分立を目指す〈民権主義〉、生活上の不平等をなくそうとする〈民生主義〉からなり、実際には、滅満興漢、立憲政治の確立、民族資本の育成、土地所有の均等化などを目標としていた。孫文は、この三民主義に基づいて国民党を結成し、1921年、中華民国政府を立てたが、これとともに、三民主義を厳密に定義し直し、〈民族主義〉は中国全民族の列強からの独立と共和、〈民権主義〉は、司法、立法、行政、考試、監察の五権の分立、〈民生主義〉は土地の公平な再分配を図るものとした。

 この孫文の三民主義は、中国の伝統的儒教精神と近代ヨーロッパ思想との融合の下に出てきた優れた実践思想であった。民族主義も、民権主義も、民生主義も、一面では、どれもヨーロッパ近代の政治思想の本質を衝(つ)いている。近代ヨーロッパの政治は、何よりも自由民主主義を確立し、国民がこぞって政治に参加する権利を持つとともに、そのことによって国民国家を形成し、国民の生活水準を向上させることを目的としていたからである。

 しかし、同時に、そこにはまた、民生を重んじ、人民のための政治を行うという理想がある限り、儒教によって培われた中国の伝統的な王道思想が生かされているとも言わねばならない。事実、孫文は、民権の伝統は既に中国の古来の道徳の中にあり、三民主義はこの中国固有の道徳によって基礎付けられ、そのことによって民族の統一と諸階層の大同を実現するのでなければならないと考えた。孫文の三民主義は、儒教的な伝統の基盤に近代の自由民主主義的な政治思想を受け入れていったという点で、伝統と近代の融合形態とみてよいであろう。

 他方、20世紀も中頃、45年、独立したインドネシアが宣言した建国の理念、パンチャ・シラ(五原則)にも、これと同じ伝統と近代の融合思想がみられる。それは、民族主義、国際主義、民主主義、社会福祉、神への信仰を謳(うた)っている。この五原則の中で、最も中心的な原理である〈神への信仰〉という原理は、イスラムの神への信仰のみを意味せず、他の神、キリスト教やヒンズー教の神への信仰も全てを含む。この原理は、近代的な信教の自由を保証したものでもある。そのような寛容な思想の下に、排外主義を排し、国際的友愛を強調し、民族主義と国際主義の調和を理想とし、代議政治の原則を示し、経済的平等を理想としたのが、五原則であった。

 このパンチャ・シラを貫いている思想は、〈多様性の中の共存〉の思想であり、これは、アジアの近代社会を生きてきたイスラム思想の一つの成果でもあった。この〈多様性の中の共存〉の思想を、もしも、多民族多言語社会であるインドネシア社会の統合の原理にのみとどめず、アジア全体にまで広げるなら、多様な諸国家の共存を可能にするアジアの政治哲学ともなり得るであろう。

 そればかりか、孫文の三民主義も、わが国の『五箇条の御誓文』に表れた思想も、今世紀のアジアの諸国家の在り方を導く立派な政治思想となり得る。ただ、中国(中共)、北朝鮮、ベトナムなどでは、まだ、この理念を政治制度として実現していない。今世紀は、アジアの諸国家が、これらの思想が指示した方向に向かっていくべき課題を持っている。

(こばやし・みちのり)