「定常型社会」を迎えた日本

沖縄大学教授 宮城 能彦

「成長せず」を前提に対策
「自助」支える共同体づくりを

宮城 能彦

沖縄大学教授 宮城 能彦

 約60年前の高度経済成長を経て豊かになった日本。オイルショックやバブルやリーマンショック等を得て、かつてほどの勢いはないものの、世界的に見れば「かなり豊かな」国であることには間違いない。

 コロナ以前から、国民、特に若者の消費行動が控えめで、昔のようにギラギラとモノを欲しがるようなことはかなり少なくなった。しかし、それはインフラその他が整備され、ある意味「十分に豊かになった」ことの反映だとも言える。多くの国民が、もう欲しいものは既に持っているのだ。

 その一方で、子供の貧困や格差の問題が顕在化してきている。確かに今、格差は広がっていると多くの人々が実感しているだろう。

コロナで問題が顕在化

 地域を研究してきた私個人としては、日本にはもう経済成長はないとしか思えない。これから多少のアップダウンはあるだろうが、長期的に見て、10年後20年後に日本が現在より経済成長しているとはどうしても思えないのである。出生率も上がらず、高齢化はますます進むだろう。

 もちろん、コロナ禍の影響も大きい。しかし、コロナが原因ではない。コロナがそれを顕在化させ加速させているのだ。

 これまで多くの研究者も指摘しているように、「もう成長しない日本」ということを前提にさまざまなプランをつくる必要がある。地域においても家庭においても。

 すなわち、「定常型社会」を前提にさまざまなことを考えていく必要があると思うのだ。

 しかし、日本に希望がないということにはならない。我々の想像力が、「経済は成長するもの」という前提でしか働かないからこそ、希望がないように思えるのではないだろうか。

 もちろん、「定常型社会」に対する批判や反論が多いことも承知である。

 しかし、例えば離島や中山間地を歩いてきた私には、過疎地の少子高齢化が10年後や20年後に解決されるとはどうしても思えない。地域おこしに成功し、人口、特に若者が増えている地域もある。しかし、それは現在のところ「特別にうまくいった例」であって、同じことを他の地域がやっても同じようにうまくいくわけではない。

 定常型社会において重要なことは何か。

 それは、「自助」と「共助」だと思う。

 「自助」とは何かをここで論ずる余裕はないが、ここでは、「自助」のためには「共助」が必要であることは書いておきたい。もちろん、イメージはかつての村落共同体ではあるが、村落共同体=ムラ社会の持つ「出る杭(くい)は打たれる」というマイナスの側面を克復するかたちでの「共助」をつくっていく必要がある。

 現在私は、終戦直後の貧しさのどん底にいた沖縄本島や宮古島の人たちが、石垣島や西表島に新天地を求めて「移民」(当時の琉球政府はそう表現している)していったことを調べている。重機がないどころか、マラリアに罹患(りかん)する可能性も低くない。そんな中で、あの南の島のジャングルを開拓していったのである。

 人々はまず、自分たちが食べる物を作らなければならない。地元の村や琉球政府からの援助はあったものの、基本的に「自助」である。そして、その「自助」を支えたのが、責任感の強い優秀なリーダーを中心にした「共助」であった。自然の脅威だけでなく、人間関係の悩みも絶えない。「共助」ではどうしようもない時は、意を決して政府に陳情にも行く。廊下に泊まり込みで、要求を聞いてもらえるまでは帰らない。その覚悟は半端ではない。なぜなら自分たちの命が懸かっているから。

貧しかった時代参考に

 これらは、今の私たちがすっかり忘れてしまったことである。しかし、その貧しかった時代にこそ、私たちが「自助」「共助」「公助」を考える材料が詰まっているのではないか。

 「経済的にはそれほど豊かではなくても、人々が穏やかに幸せに暮らせる社会こそ」とは、もうだいぶ前から言われ続けていることではある。しかし、どこかで「経済成長はまだある」と思い、真剣には考えてこなかったと思う。

 コロナによって、いよいよそれを現実的なこととして考える時が来ているのではないだろうか。

(みやぎ・よしひこ)