それでも民主主義体制の優位揺らがず
東洋学園大学教授 櫻田 淳
米の混乱は「再生」の萌芽
欧州指導者は峻厳な対中認識
1月6日午後(米国東部時間)、2020年米国大統領選挙結果を確定させる米国連邦議会上下両院合同会合の最中、ドナルド・J・トランプ(米国大統領)に実質上、扇動された群衆の一部が議場内に乱入し、死傷者も出した一件は、特に中国に対しては、対米批判の格好の材料を提供したようである。
たとえば、華春瑩(中国外務省)報道局長は、若者らが香港立法会を一時占拠した19年の「雨傘運動」の一件に言及した上で、「なぜ似たような抗議を行う者が米国では暴徒となり、香港では民主主義の英雄となるのか」と皮肉を込めて語っている。しかし、こうした中国官僚の言辞には、空々しい響きがある。
「カネで友情買う」中国
中沢克二(日本経済新聞編集委員)が『日本経済新聞』上に載せた署名記事(1月6日配信)には、次のような記述がある。
「『言葉は悪いがカネで友情を買うのだ』。中国の対外戦略に詳しい清華大学教授の閻学通はかつて率直に説明していた。中国外交の本質を突く言説は興味深かった。これはNATO(北大西洋条約機構)加盟国でも経済上の利益で中国の友人グループに組み込めるという自信でもあった。裏を返せば『金の切れ目は縁の切れ目』になる」とある。
中国の対外戦略の実相が「カネで友情を買う」という性格のものであるならば、この記事に登場する閻学通の認識は、どのようなニュアンスを帯びたものであったのか。それは、「カネでしか欧州の友誼(ゆうぎ)を得られない」という冷めたニュアンスなのか、それとも「カネさえあれば、欧州の友誼も得られる」という半ば驕(おご)ったニュアンスなのか。
この問いは、中国共産党政府や中国国内識者が、「カネ」という手段の効用と限界をどこまで自覚しているかという問いに結び付いている。その答えが仮に前者であれば、中国社会にとっての一つの救いになるかもしれない。
しかし、中沢が手掛けた前出の記事を読む限り、それは後者である可能性の方が高そうである。そうであるならば、「カネで友誼を得られる」と中国に認識、あるいは軽侮された欧州サイドの対中姿勢が、問われなければなるまい。「カネさえ見せれば転ぶ」と思われるのは、それ自体が見下されていることの証明であるからである。
特にアンゲラ・メルケル(ドイツ首相)の際立った対中「宥和(ゆうわ)」姿勢には、どのような要因が作用しているのか。もともと東ドイツの権威主義体制下で生れ育ち、その権威主義体制に順応していたメルケルにとっては、権威主義体制それ自体への忌避感情は薄く、往時の東西関係の落差として語られた「経済的な豊かさ」の保全が第一の優先順位を置かれるべき政策課題であったという解釈は、十分に成り立つ。
しかし、それでも、メルケルの永き執政は、今秋に幕を閉じる。後の欧州世界に残るのは、ボリス・ジョンソン(英国首相)やエマニュエル・マクロン(フランス大統領)のように、峻厳(しゅんげん)な対中認識を持つ政治指導者である。
故に、現下の米国民主主義の混乱は、権威主義的「中国型統治モデル」の優位を決して物語ることはない。
本来の共和党に復元を
トランプは、国家元首の立場に就いていながら自ら忠誠を誓うべき元首として米国国制の破壊に手を貸したという意味では、ヴェネツィア共和国一千年の歴史に登場するマリーノ・ファリエロを髣髴(ほうふつ)させる人物である。
もっとも、トランプが出現させた異様な風景は、米国民主主義の「再生」の萌芽を示しているかもしれない。上院でも優位を喪(うしな)った共和党が、此度(このたび)の混乱を機に「トランプ的なるもの」を総括し、米国の「独立自尊」の精神を体現する政党として復元するのであれば、米国民主主義の先々の展望は開けよう。「危機」と「再生」は、表裏一体の言葉である。
(敬称略)
(さくらだ・じゅん)