学術会議会員任命拒否に思う

元統幕議長 杉山 蕃

国民意識と乖離した組織
政府は抜本改革へ周到な準備

杉山 蕃

元統幕議長 杉山 蕃

 菅内閣最初の決断として、学術会議会員の任命推薦者105人中6人を拒否する発表を行い、野党、学術会議、一部マスコミ等の反発を買い、国民の注目するところとなっている。本件、そもそもの出発点が学術会議の「軍事排斥」路線にあることから、若干の所見を披露したい。

 日本学術会議は、終戦間もない1949年、学術研究会議を前身とし、新しく発足した。当時、我が国は占領米軍の統治下にあり、日本のあらゆる面から旧軍的要素を排斥し、日本全体を非軍事社会にするという大方針が基本にあり、学術会議のみならず、あらゆる組織が非軍事一色に染まっていたのである。従って50年、発足間もない学術会議が「軍事目的のための科学技術研究を行わない」と公表したのも、時代の流れとして肯定されるものであったと理解する。

事実上、共産党の支配下

 しかし、この健気(けなげ)な理想も、同年勃発した朝鮮戦争で、警察予備隊が発足、次いで52年、海上警備隊が発足、北海道には、ソ連来襲に備え、多数の米陸軍部隊が各地に駐屯するという異常な事態となった。以降、厳しい東西冷戦下、我が国は日米安保と自衛隊を二本柱に、国防の体裁を整備していく経緯を辿(たど)る。そして長い時間の経過とともに「戦後政治の総決算」といった過度に左に傾いた諸制度を見直す動きが強まり、本来の形に戻りつつある。

 そのような中で首を傾(かし)げざるを得ないのは日本学術会議の姿勢である。昨今の例でいくと2017年、北朝鮮が核・弾道弾開発を活発に行い、日本中が今後の対応を大いに懸念した時、日本学術会議は3度目の声明を発し「軍事目的の研究は行わない」事を明白にした。何とも国民意識と乖離(かいり)したことと捉えられても致し方がない。また、彼らが標榜(ひょうぼう)する「学問の自由」を自ら制限する愚かな見解を表明したのである。

 もう一つの大きな問題は、学術会議の持つ政治的中立性にある。一般国民への本会議へのイメージは、学術的な権威と高邁(こうまい)な人格にあるべきである。因(ちな)みに学術会議は、栄誉会員制度を持ち、国民の崇敬するノーベル賞受賞者を主体に10人を超えるメンバーを擁し、良好な印象を与える努力も行っている。

しかし、今回問題になった如(ごと)く、安保関連法、特定秘密保護法といった安保関連の法成立に際し、任命を拒否された6人を筆頭にかなりの会員が反対を表明した。「何故(なぜ)、学術会議の学者さんが?」という疑問を一般国民が持つのは当然である。平たく言えば、日本学術会議は、戦後横溢(おういつ)した左翼的症候群と言える状態のままで、大きく変化していく世界情勢、社会環境に対応できず、旧弊を引きずったままの組織と言えるのである。

 もう一つの例は、日本共産党との関係である。学術会議に35年という長い間、会員として在席活動した福島要一なる人物がいた。共産党員である彼の他会員への圧力は相当のものがあり、元会員が「会議は事実上、共産党の支配下にあった」と回顧しているほどであったようである。

 また中国との関係も釈然としない。15年、中国科学技術協会との間で協力覚書を交わし、国内では軍事技術研究を禁じながら、軍民の区別がない中国と協力することが可能な状態になっている。中国は千人計画で明らかな如く、国家的調略で、諸外国からの頭脳流出を大規模に進めており、憂慮される事態であることは読者ご承知の通りで、米国では代表する学者が逮捕される事態となっている。こんな状況で、技術協力覚書は、国民が期待する学術会議の在り方とはこれも大きく乖離している。

改革約束は当然の結果

 このような経緯から日本学術会議の抜本的改革のトリガーとするため、政府は十分な準備検討をして、今回の任命拒否に動いたと見るべきであろう。「任命権」についても「再定義・再確認」を行い、18年には総合イノベーション戦略推進会議を設立、安保と一体となった経済政策を推進することとし、重要な科学技術戦略が調整されている。このような周到な準備に対し、先日行われた首相と学術会議会長の会談では、会議の改革を約束せざるを得ない状況になったのは当然の結果である。

 野党は相変わらず、学問の自由の侵害であるとか、法令違反といった切り口で対抗するであろうが、議論が深まれば深まるほど、日本学術会議は厳しい世論に晒(さら)され、その存在自体が問われることとなっていくのではないかと考えている。今後の動向に注目したい。

(すぎやま・しげる)