北朝鮮に抑留された“忘れられた国民”


韓国紙セゲイルボ

政府の“釈放努力”は結果出ず

 2014年、中朝国境の丹東取材の時のことだ。現地取材で雇った平壌出身の華僑ガイドは鴨緑江の岸辺で威化島を眺めていた記者に、「朝鮮(北朝鮮)に行きたいか」として、「望むならいくらでも送り込むことができる」と“越北”の意思を探ってきた。

中国の丹東から眺める北朝鮮の新義州。中朝国境沿いを流れる鴨緑江をまたぐ鴨緑江大橋(左)と鴨緑江断橋が見える(2006年12月、上田勇実撮影)

中国の丹東から眺める北朝鮮の新義州。中朝国境沿いを流れる鴨緑江をまたぐ鴨緑江大橋(左)と鴨緑江断橋が見える(2006年12月、上田勇実撮影)

 泳げないし、行くような仕事ができれば、政府の承認を得て気楽な陸路で行くと答えた。瞬間、冷笑がよぎったガイドは即座に表情を変えて、「ところで、キム・ジョンウク氏ですが、本当に布教活動をしたのですか」と質問し始めた。キム氏は13年10月、北への密入国疑惑で逮捕された後7年間北朝鮮に抑留されている。

 丹東は南北双方の情報と諜報が交差する空間だ。韓国記者から聞いた話は“情報商売”に活用できる良い材料だ。当時、ガイドは記者を通じキム氏関連の韓国政府発表と韓国メディア報道内容に関する事実関係を確認したかったのだろう。

 それから2年後の16年、知人の脱北者A氏が中国にしばらく行ってくるとして行ったきり、全く便りがなかった。日本の北朝鮮専門メディアに豆満江地域で北首脳部を狙ったテロ目的で潜入した脱北者と中国の朝鮮族が北当局に逮捕されたという記事が載った。時期と場所だけみれば、記者が知っている2人の話のようなので当局に知らせたが、現在まで生死不明だ。A氏とは脱北者のキム・ウォンホ氏だ。2人の訪中目的はテロではなかった。全くそんなことができる人たちではない。

 現在の北朝鮮にはこの2人を含め韓国民6人が数年間、抑留されている。以前、マクロン仏大統領が空軍基地で、アフリカのマリでイスラムテロ集団に4年間抑留され解放された75歳の仏女性を迎える姿を見て、北朝鮮に抑留された韓国民6人が板門店の軍事境界線(MDL)を越えて帰還する場面を想像してみた。想像が現実となるだろうか。

 文在寅大統領は就任以後、金正恩労働党委員長と3度南北首脳会談を行った。歴代政府で最も多い回数だ。政府は首脳会談と高官会談等を通じ韓国民の釈放努力を傾けたというが、まだこれといった結果はない。

 18年の米朝首脳会談を控えて、北朝鮮での抑留1年ぶりに解放された韓国系米国人キム・ハクソン氏はインタビューで「米国は国民に最後まで責任を持つ国家だということを全身で感じた」と言った。韓国政府が耳を傾けなければならない言葉だ。“人”と“平和”の価値を強調してきた文在寅政府にとって平和とは何か。政府と国家の役割は何であり、北朝鮮に抑留された6人はどこの国民なのか。政府は彼らを記憶しているのか。

(キム・ミンソ国際部次長、10月24日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。

ポイント解説

自国民さえ犠牲にする文政権

 菅義偉首相は横田滋さんのお別れの会で改めて北朝鮮による日本人拉致問題の解決に向けた決意を強調した。退任した安倍晋三前首相の一番の心残りは拉致問題を解決できなかったことだ。拉致という非道を日本政府と国民は忘れたことがない。

 北朝鮮には韓国動乱時の韓国軍捕虜が約500人、その後に拉致されていった韓国民が「516人」いるとされている。その他に宣教などで入北して捕まった人たちが分かっているだけで「6人」。これほどたくさんの韓国人が北にいるのに、文在寅政府は、なぜかこれらの国民の返還・帰還を北朝鮮に要求していない。

 文政府だけでなく、これまでの歴代政府は拉致問題に正面から取り組んでこなかった。特に左派政権は敏感な問題をあえて出して、北を刺激することは意識的に避けてきたようだ。当然の話で、一方で太陽政策(包容政策)や融和政策、南北事業を進めながら、他方で拉致被害者を返せとは言いずらい。北の機嫌を損ねて、対話の道を閉ざされては元も子もないからだ。北側は足元を見て「そもそもそんな人間はいない」と白を切っていて、解決の糸口さえ見つけられない。

 それにしても、記者は宣教などで入北した「6人」のことを心配しているが、合計1000人にも上る北に抑留されている韓国民に言及していないのは何故なのだろう。こっちの“忘れられた韓国民”は政府や国民の関心の埒外にあるとは思えない。

 既に思想的に感化されて北の住民になったのか、いまさら“帰国”したところで、生活の基盤が北にある人たちの運命をもう一度変えるのは忍びないのか…。分断と体制の対立がもたらした悲劇を背負った朝鮮半島の実相だ。

(岩崎 哲)