チェコの自由と中国の影響力の隘路
東洋学園大学教授 櫻田 淳
「地雷」踏んだ中国共産党
欧州世界に広がる対中批判の波
9月1日、ミロシュ・ビストルチル(チェコ上院議長)は、台湾を訪問中に台湾立法院で演説し、「私は台湾人である」と表明し、台湾との民主主義連帯の意義を強調した。ビストルチル演説は、1963年に西ベルリンを訪問したジョン・F・ケネディ(当時、米国大統領)が「私はベルリン人である(Ich bin ein Berliner.)」と西ベルリン市民に向けて語った故事を踏まえたものであると説明される。
ヤン・フス以来の伝統
「AFP通信」記事(日本語電子版、2日配信)が報じたところに拠(よ)れば、ビストルチルは、此度(このたび)の台湾訪問を「バツラフ・ハベルの遺志を継ぐ旅」として位置付けた。
92年以前には一つの国家を成していたスロバキアとともに、48年の共産主義体制樹立、68年の「プラハの春」、89年の「ビロード革命」といった歴史激動を経たチェコにおいては、バツラフ・ハベル(チェコ初代大統領)は、共産主義体制下の永き忍従の歳月に終止符を打った「ビロード革命」を象徴する人物として語られる。
ビストルチルは、ケネディとハベルの故事に明確に依拠しながら、当代世界における「自由」の信条を表明し、共産主義・中国の圧力に直面する台湾との連帯を表明した。
事実、チェコには、20世紀末のバツラフ・ハベルどころか、15世紀初頭のヤン・フス以来の「自由を求めた」伝統がある。因(ちな)みに、ベドルジハ・スメタナの連作交響詩「我が祖国」の第5曲「ターボル」と6曲「ブラニーク」は、フスの宗教改革とその後の戦争の故事を題材にしている。
「ビロード革命」翌年、共産主義体制を嫌って亡命し、40年ぶりに祖国に戻ったラファエル・クーベリック(指揮者)が振った「我が祖国」は、歴史に残る名演として語られる。
ビストルチルの台湾訪問と台湾立法院演説は、中国共産党政府の激越な反発を招いた。王毅(中国外相)は、「近視眼的な行動と政治的なご都合主義の高い代償を払わせる」と警告した。華春瑩(中国外務省報道局長)は、「公然と台湾の独立、分裂勢力を支持し、中国の主権をひどく侵犯した。内政干渉で、強く非難する」と訴えた。
こうした中国共産党政府の反発は実質上、チェコに対する「恫喝(どうかつ)」の色合いを濃厚に帯びた故に、欧州世界に対中批判の波を広げた。ズザナ・チャプトバ(スロバキア大統領)は、欧州諸国の国家元首級政治家として初めて、「受け容(い)れられない」と表明した。他にも、既に独仏両国から同じ趣旨の見解が示されている。
筆者は、中国の対外影響力における「潮目」が中東欧圏に表れるのであろうと書いたことがある。案の定、中国共産党政府は、中東欧圏に位置するチェコへの対応に際して、明白に「地雷」を踏んだ。「悠然と見過ごす」対応を取らなかった中国共産党政府の姿勢は、却(かえ)って大きなハレーションを起こし、それ自体の「焦り」と「弱さ」を暴露してしまっているようである。
「一つの中国」骨抜きへ
今後、各国の中に、大統領・首相・外相のような行政府の主幹ではなく、立法府の議長に相当する人物を台湾に送り込む動きが加速したら、どういうことになるか。中国共産党政府が唱える「一つの中国」原則が、表向き尊重されても、実質上は骨抜きにされる状態が、進んでいくのではなかろうか。中国共産党政府は、「大国=格上」意識の下で、「上下関係」で万事を裁断する発想を国際関係に投影するから、こういう仕儀に陥る。
『孫子』に曰(いわ)く、「敵を知り己を知れば…」である。現今の中国における欧州情勢理解の水準は、チェコに対する姿勢によって推して知るべし、である。その末路がどのようなものであるかも、敢(あ)えて指摘する必要もない。
(敬称略)
(さくらだ・じゅん)