視点を転換することの大切さ
名寄市立大学教授 加藤 隆
世界や社会の光景が一変
水平的見方から垂直的見方へ
自分の未熟談を晒(さら)すことになるが、私は以前に幼稚園と小学校の教師を数年ずつしていたことがある。幼稚園の新任の時、幼児たちの描いた絵を保育室の壁の中段ほどから天井に届くくらいまで三方にわたって展示したのだ。作品の出来栄えも良く、思い上がりも多分に含んでいたと思う。
数日後に、ふと5歳児の目からどう見えているのかと思い立ち、80㌢ほどの高さまで身をかがめて見上げると、作品は遥(はる)か向こうに霞(かす)むように並んでいたのである。幼児からは見えたものではなかった。申し訳なさと自分の無知さ加減をつくづく思い知らされ、視点をどこに置くかによって見えてくるものが全く違うことを痛感した。
国民性や価値観を形成
ことほどさように、どこを基準にして眺めるかによって、世界も社会も見える光景は違ってくる。例えば、我々が学校で使っていた世界地図を思い起こしてほしい。日本が中心に鎮座し、右側には太平洋、左側にはアジア大陸が広がり、ヨーロッパなどは遥か西の片隅に位置していた。我々はこれが世界標準と思い込んでいる。
実は、ご存じの方は多いと思うが、欧米の世界地図はまったく逆である。ヨーロッパ大陸が地図の中心に据えられ、そこから世界は周辺へと広がっている。英語のFar East(極東)という概念は、欧米の視点から眺めると、日本や韓国などは極々東の辺境に位置する国という認識を示している。いずれにしても、どこに視点を置くかによって、世界の見え方は違ってくるのであり、それがその国の国民性や価値観を形成していく。
ところで、我々日本人のメンタリティーの特質、ものの見方の基準はどこにあるだろうか。その一例を、幕末にやって来た黒船のペリー提督の態度に見ることができる。ペリーは交渉を成功させるために、オランダ人の著作など日本に関する研究書を事前に40冊以上読み込んでいる。その結果、彼が得た結論はこうである。「日本人は礼儀正しいが、権威に弱いから脅すに限る」。そして、江戸湾の入り口に当たる浦賀に現れ、大砲で脅す行動に出たのである。
「日本人は権威に弱い」という認識は当たっていないだろうか。「お上に盾を突くことは」とか「寄らば大樹の陰」という精神構造は、封建の時代から科学主義の現代に至るまで、脈々と受け継がれていると思えてならない。
ただ、少し観察してみると、我々の社会の権威は、人間社会の中で編み出された権威であり、いわば、平板な世界での視点に留(とど)まっている。今日、世界が音を立てて地殻変動をしている中にあって、常識と見定めている我々のメンタリティーを、別の視座から眺めてみる知恵が求められていないだろうか。そのヒントを2点述べてみたい。
一つは、日本人に馴染(なじ)み深い仏教の教えである。ある仏教学者が道元禅師の仏教観について含蓄のある指摘をしている。「私たちは何か自己があると思って、生まれた時に名前を付けられ、その自己は死ぬまで同じだと思っている。けれども、仏教で考えようとしている自己は、そのような自己ではない。(中略)生まれる前、そして死んだ後、それは何だったのだろうか。そこに本来の自己というのがあるのではないかと考えます」。ここには、身体に封じられたような小さな自己ではなく、生死を超えた大きな自己という視点から人生を考えよという教えがある。
もう一つは、キリスト教である。日本社会は、秩序だった人間中心主義のコップ社会のようであり、全てがメード・イン・人間で語られる世界である。それに対してキリスト教は、二次元で人生や世界を見るのではなく、三次元で見るということを要求する。水平的な人間の理解と視点だけで世界が完結するのではなく、垂直的な視点を持つことで世界は成り立つことを伝えている。
超越的一者への気付き
先ほどのコップを例にすれば、コップの中の人間相互の視線だけで一喜一憂するのではなく、そのような人間(私自身)も含めた世界全体を見つめている超越的一者がいるという気付きである。ここにも、新たな視点が差し出されている。
さて、50年前にアポロ8号が撮った美しい写真がある。荒涼とした月面の向こうに昇っていく「地球の出」である。月から地球を眺めるという視点に、我々は得(え)も言われぬ喜びと驚きを感じるのである。これもまた視点の転換ではないだろうか。
(かとう・たかし)