「樋口季一郎記念館」開設―北海道古民家再生協会理事長 江崎 幹夫氏に聞く

インタビュー

北海道古民家再生協会理事長 江崎 幹夫

 古民家という言葉が一般的になってきた今日、北海道古民家再生協会では今秋、1軒の古民家を活用し、「樋口季一郎記念館」を開設する。第2次世界大戦直前にナチスのユダヤ人迫害が猛威を振るう中、ユダヤ人難民を救った樋口季一郎は、終戦時は陸軍中将第5方面軍司令官として旧ソ連の北海道侵攻を食い止めた人物。古民家再生と「樋口季一郎記念館」開設の関わりについて北海道古民家再生協会の江崎幹夫理事長に聞いた。
(聞き手=湯朝肇・札幌支局長)

残したい古民家の住文化
記念館で活用図る
ユダヤ人救済、北海道防衛に尽力

北海道古民家再生協会理事長 江崎幹夫

北海道古民家再生協会理事長 江崎幹夫

樋口季一郎記念館の前に、古民家について話を伺いたいと思います。最近、古民家という言葉を目にする機会が増えてきたように思いますが、そもそも古民家とは、どのような建物をいうのでしょうか。

 古民家とは築50年以上の伝統工法もしくは在来工法で建てられた木造住宅を言います。

 なぜ築50年かと言えば、国の文化財保護法の登録有形文化財登録基準「建築物、土木構造物、及びその他の工作物のうち原則として建設後50年を経過しものを登録できる」という制度に則(のっと)って定義しています。また、伝統工法による古民家とは、昭和25年に建築基準法が制定されたのですが、それ以前に建てられた木造の住宅のこと。在来工法による古民家は、同法制定以後に建設され50年経過している住宅を言います。総務省の統計によれば北海道内には現在、約5万5000棟以上の古民家が残っているといわれています。

古民家を残す意義とは何でしょうか。

 今でこそ、古民家に価値があることは知られてきましたが、一昔前まで重要文化財の建物は別にして古民家はぼろ屋のようにみられていました。解体するにも費用が掛かるなどと厄介者扱いでした。不動産業者では、築30年以上たった住宅の資産価値がゼロということになっていますが、私たちからすれば、それはおかしいのではないか、と言っています。

 例えば、古民家の中にはしっかりした見応えのある梁(はり)で造られたものや、落ち着きのある空間を醸し出すものがあり、非常に文化的価値があります。また、伝統工法で建てられた住宅の骨組みは木材が使われていますが、木は伐採されてから100~200年をかけて強くなり、新材に比べると2、3割強度が上昇します。古民家は耐久年数の長い住宅なのです。

 そうした資材を活用することも古民家を守ることにつながると考えています。何よりも日本の伝統的な住文化を残していくことは十分に価値があると思っています。

その上で、古民家を残すためにどのような活動をされているのですか。

 私どもの協会は、全国に先駆けて2009年9月に設立したのですが、古民家再生協会は全国組織になっています。活動の一つとして古民家鑑定士の資格取得のための講習を定期的に開いています。現在、全国に約1万7000人、北海道では200人近い古民家鑑定士がいます。

 また、最近では昨年10月に石狩市高岡に、開拓農家が建てた築109年の古民家を農泊施設「古民家の宿Solii(ソリィ)」としてオープンさせました。ここは母屋と納屋、石蔵から成っており、伝統工法で造られた建物です。3年間空き家になっていたところを何とか活用できないものかと当協会、石狩市、有識者が「いしかり古民家活用地域活性化協議会」をつくり、協議を重ねてオープンにこぎ着けたわけです。

この古民家を活用した農泊施設「Solii」と「樋口季一郎記念館」はどのような関わりがあるのでしょうか。

 農泊施設「Solii」は母屋と納屋をリノベーションしたそれぞれ最大4人の定員で1棟貸しですが、敷地内にある石蔵の方を「記念館」にしました。実は当協会の会員の一人が今から4年前に樋口季一郎の存在を知り、そのユダヤ人救済という人道的な姿勢と北海道を旧ソ連から守ってくれた人物ということで、その功績を後世の人にも伝えたいということで話がありました。私自身、たまたま樋口の孫に当たる女性と親しかったこともあり、記念館建設に話が向かっていったわけです。

樋口季一郎の存在を知っている人は北海道でも少ないのではないでしょうか。

 樋口は兵庫県淡路島の出身です。第2次世界大戦が始まる直前の1938年、当時関東軍ハルビン特務機関長として赴任していた時、ナチスの迫害を逃れて旧ソ連と満州国の国境のオトポールに足止めされていた数万ともいわれるユダヤ人を亡命させました。もちろんドイツから抗議があり、陸軍内部でも意見があったものの、自説を貫いて入国させたわけです。ユダヤ難民にビザ(査証)を発給した杉原千畝は有名ですが、樋口はそれほど知られていません。

 一方、終戦時には旧ソ連が南樺太や千島さらには北海道を占領しよういう中で第5方面軍司令官として軍を統率して北海道の防衛に尽力したのですが、それを知っている北海道民は少ないと思います。戦後は2年ほど小樽市朝里に暮らし、北海道とゆかりの深い人物で、樋口の功績を知らしめることは意義あることだと考えています。

記念館のオープンはどのような形になるのでしょうか。

 オープンは9月15日を予定しています。新型コロナウイルスの影響で大規模なものはできません。関係者による式典になると思いますが、樋口季一郎の孫で明治学院大学名誉教授の樋口忠一氏を招いてお話を戴(いただ)き、開催していきたいと考えています。記念館では親族で集めた著書や草稿、説明パネルを展示し一般公開する予定です。

 ちなみに、ユダヤ人難民を救った杉原千畝の記念館が岐阜県八百津町にあり、そこには毎年2万人のイスラエルの方が訪問するそうです。北海道もイスラエルとの交流が期待できます。また、農泊施設「Solii」は辺りに電柱はなく、田園風景が広がり北海道の農村の原風景を醸し出しています。「ヨーロッパのようだ」という人もいます。そうした場所でのんびり過ごすのも良い思い出になるのではないでしょうか。


 (えざき・みきお) 1954年北海道和寒町生まれ。1級建築士。北海学園大学工学部卒業。2004年、AI建築を設立、代表取締役。09年、北海道古民家再生協会を設立し、以来100軒以上の古民家の鑑定・調査を行う。1級古民家鑑定士であり、伝統資財施工士。北海道開拓の村「たてもの観察会」講師も務める。