武漢ウイルス禍への「日本型」対応

東洋学園大学教授 櫻田 淳

諸外国は否定的な評価
問い質される戦後日本の歩み

櫻田 淳

東洋学園大学教授 櫻田 淳

 武漢ウイルス禍の「パンデミック」に際して、日本政府の対応方針は、結局のところは、日本国民各層に「自粛」を要請することに集約されていた。

 4月7日にコロナウイルス特措法に拠(よ)る緊急事態宣言が発せられた前後から、日本政府が手掛けた政策対応は、所謂(いわゆる)、「3密」(密集・密接・密閉)の回避にせよ、人々の接触を8割、減らすことを趣旨とする「不要不急の外出」の自粛にせよ、世の人々に「要請」を出す域のものにとどまっていたのである。

 人口100万当たりの感染者数が100未満、死者数が2未満という4月20日時点での日本の水準は、諸外国に比べて低く抑えられている

半分は無視、半分は憎む

 こうした「日本型」のウイルス禍対応について、「アジア・タイムズ」記事(4月20日配信)は、次のような興味深い評価を紹介している。それは、「日本型」対応が実は諸外国から高く評価されているわけではなく、それどころか批判されることが多いという事情を念頭に置いた上で、外国人の視点を反映したものである。

 「日本は、ジャンク・フードを食べ運動もしていないのに痩せている少女のようなものである。半分の人々は、それを無視し、他の半分の人々は、それを憎もうとするのである」

 確かに、緊急事態宣言を発令したとはいえ、実際に打ち出されているのが「要請」の域に終始している日本政府のウイルス禍対応は、都市封鎖や罰則付きの外出禁止令の発動を余儀なくされている諸外国の事情に重ね合わせれば、明らかに緩く甘々な印象を与えるものでしかないのであろう。その一方で、ウイルス禍の感染者数や死者数が低く抑えられている事情は、諸外国には奇異にして不可思議なものとして受け止められるであろう。

 この「日本=スキニー・ガール(痩せた少女)」説に関して、武漢ウイルス禍対応の「日本モデル」が仮に上手(うま)くいったとしても、それは、あまりにも特殊な日本の社会環境を前提にしたものであって、決して諸国が参考にできるものではないのかもしれない。

 実際、英国BBC記事(4月20日配信)は、日本が「世界で最も健康的に生活できる国」ランキングで第2位に位置する事情を紹介した上で、普段からのマスク着用の習慣や定期検診制度の普及に示される「健康に関心の深い」国民性がウイルス禍の抑制に寄与していると指摘しているのである。

 この「参考にできない」という事情こそが、前に触れた諸外国の「半分は無視し、半分は憎む」反応を招き、日本政府のウイルス禍対応への批判に走らせている。「日本型モデル」に拠ってウイルス禍を乗り切ることができれば、日本は、今後も「東洋の外れの神秘の島国」のままであり続けるのであろう。

 逆に言えば、「日本型モデル」が失敗して、都市封鎖を含めて諸外国にとって分かりやすい対応を余儀なくされたときに、日本は諸外国にとって「理解できる国」になるのであろう。「ジャンク・フードを食べて運動しないのならば、太って当然だ…」というわけである。

 もっとも、日本は、「日本型モデル」を選んだ以上、そこでの成功に向けて初志貫徹する他はあるまい。筆者は、西洋由来の近代政治学の洗礼を受けた立場であるので、「有事」と「平時」が明確に区別される対応の仕方が理解しやすく、その故にこそ「日本型モデル」対応の曖昧さには率直に不安を拭い去ることができない。

有事想定忌避した日本

 ただし、日本国民の自制や従順と日本社会の強い同調圧力を前提にした「日本型モデル」対応には、「有事」を考えることを総じて忌避してきた戦後日本のもう一つの「特殊事情」が反映されている。武漢ウイルス禍は、戦後日本の歩みが正しかったかどうかも問い質(ただ)している。

(さくらだ・じゅん)