令和の時代を生きる養生訓
メンタルヘルスカウンセラー 根本 和雄
大切な“心の穏やかさ”
「今・此処」を受け入れ専念
“降る雪や明治は遠くなりにけり”とは、中村草田男の句であるが、何時(いつ)しか昭和も遠くなりつつある思いが去来するこの頃である。そして時代は平成から令和と改まり、この“令(うるわ)しく清々(すがすが)しい時代”を生き抜く「養生の秘訣(ひけつ)」を先人の残した言葉から繙(ひもと)いてみたいと思う。
気を和らげ心平らかに
“養生の道は気を調えるにあり。調気とは気を和らげ心を平らかにすることなり”
この言葉は、貝原益軒(江戸時代の儒学者)が、84歳の1713(正徳3)年に書いた『養生訓』で述べている。「気」は、もともと「氣」と表現され、自然に育まれた穀物のエネルギーが「氣」で、それが体内のどこかで停滞すると病気になると考えたのが「一気留帯説」(江戸時代中期の医家・後藤艮山(こんざん))である。
つまり“気血よく流行(気のめぐり)して滞らざれば、気強くして病なし。気血流行せざれば、病となる”という。そして「万病は一気の留滞から起る」というのである(大塚恭男著『東洋医学』63ページ参照)。
従って、『養生訓』には、“養生の術はまず心気を養うべし。心を和にし、気を平らかにし、怒りと欲とを制(おさ)え、思いを少なくし、心を苦しめず、気を損なわず、これ心気を養う要道なり”(巻1・総論上)と述べている。
ここには、心の平静な穏やかさが養生にいかに重要であるかを読み取ることができると思う。
また、古くは中国最古の医書『黄帝(こうてい)内経(だいけい)』の「素問(そもん)」は、“怒れば気は上がる、喜べば気は緩くなる、悲しめば気は消える、恐れれば気は下がる、寒ければ気は発散する、驚くと気は閉じる、気苦労があれば気は消耗する、心配事があれば気は鬱結(うっけつ)する”と述べている。
このことからしても、養生の要訣は、いかに〈穏やかさ〉が大切であるかを痛感せずにはいられないのである。それには、気持ちを落ち着かせる「吐故(とこ)納新(のうしん)」(荘子)の呼吸法は、実に理に適(かな)う方法ではなかろうか。
つまり、“故(ふる)きを吐いて、新しきを納(いれ)る”という自然の呼吸法そのものである。
次に、養生法で特に心掛けたいのが、“心の持ち方”ではなかろうか。
“病をうくることも、多くは心よりうく。外より来る病はすくなし”と吉田兼好はその著『徒然草』(1330年)で述べている。
すなわち、「病気に罹(かか)るのも、多くは精神的な原因によるので、外から受ける病気は少ない」という。正しく諺(ことわざ)の如(ごと)く〈百病は気から生ず〉ということである。
この〈病は気から〉は、心の状態が神経系を介して免疫系に影響を及ぼし、それが身体状態を変化させて疾病を作り出したり、または改善したりする。この過程を明らかにする分野が「精神神経免疫学」<Psychoneuroimmunology>で、昨今、特に注目を浴びている。この「心の在様(ありよう)」の大切さを説いているのが、佐藤一斎(江戸後期の碩儒(せきじゅ))である。一斎が82歳で書き残した『言志耋録(てつろく)』(1853年)にこう述べている。
“自ら養うに四件有り。曰(いわ)く和易(わい)、自然、逍遥(しょうよう)、流動、是(こ)れなり”と。(同書308ページ)
すなわち「自ら養生するのに次の四件がある。気持ちが穏やかなこと。自然のままにして焦らないこと。ゆったりして落ち着いていること。物事に拘(こだわ)らないこと」であるという。
さらに、心に留めたいことは、今、置かれている状況を受け入れることではないかと思う。
自分の年齢を肯定する
“自分の年齢を肯定することこそ、真の幸福の前提である”と語ったのは、ポール・トゥルニエ(スイスの人格医学・内科医)で、その著『人生の四季』(1967年)で述べている。
これは同時に、今、置かれている状況(此処(ここ))を受け入れ、そのことに専念することではないかと思う。そして、雑念を排して、生かされて生きている生命への感謝の念が自然に心穏やかに生きる心の処方箋になるのではなかろうか。
この新しく迎えた「令和の時代」を先人の知恵を深く噛(か)み締めながら心穏やかに過したいと切に思うのである。
おわりに、江戸中期の蘭方医(らんぽうい)・杉田玄白は、こう語っている。
“昨日の非は恨悔(こんかい)すべからず。明日の是(ぜ)は慮念(りょねん)すべからず”と。(『養生七不可』より)
(ねもと・かずお)