日米安保条約改定60年に思う

元統幕議長 杉山 蕃

東アジア安定へ再定義を
中朝による脅威に適切に対処

杉山 蕃

元統幕議長 杉山 蕃

 日米安保条約改定の調印から60年を経た。激しい国内騒動を経て成立した「日米安保」であるが、その道のりは大きな起伏を経る。当時学生であった筆者は、まさに安保とともに、自衛官生活を送ってきた。制服自衛官として、部隊勤務であるいは幕僚として常にその恩恵を感じつつ過ごしてきた者として若干の所見を披露したい。

相反する理念持ち誕生

 本来、日米安保は複雑な、相反する理念を持って誕生したと考えてよい。それは、世界を相手に戦った日本を再び軍事強国として復活させることは回避せねばならないとする国際的な合意と、朝鮮戦争に代表されるソ連の台頭、日本への侵略工作に対する防衛力の保持という矛盾した必要性の所産であることは論をまたない。この矛盾性は現在も持続されており、「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)、日米共同作戦計画作業に明らかなごとく、日本有事の事態でも、敵策源地攻撃は米軍の担当するところとされている。これに基づき軍備面でも空母・原潜・爆撃機といった攻撃性の高い装備は、自衛隊は保有していない。

 60年の長い年月の間、筆者の印象に残る起伏を紹介したい。その第一は1969年、グアムで発表された「ニクソン・ドクトリン」である。ベトナム戦争の終結を視野に、米国は「自助の意志あるアジア諸国の自主的行動を側面から支援する」とし、自ら守る気概を鼓舞したが、我が国においてはその効果は顕著なものであった。いまだ左翼的症候群の横溢(おういつ)する政治情勢であったが、我が国の防衛意識を転換させる迫力があったと考えている。当時の防衛庁長官・故中曽根康弘氏は、日米安保補完論、自主防衛5原則を掲げ、防衛庁・自衛隊の士気は大いに昂(たか)まった。これを受けた第4次防衛力整備計画(4次防)も難航の末、成立。自衛隊の本格的近代化が進んだ。当時初の幕僚勤務であったが、若さのせいもあり、残業・泊まり込みの連続も苦にならず、遮二無二業務に励んだことを懐かしく思い出している。

 第二の起伏は、ソ連崩壊・冷戦構造解消後の日米安保の再定義といわれる決断である。平和の代償を求める流れもある中、冷戦構造の厳しい対立により押さえ付けられていた各地の不安定要素が一斉にうごめき始め、東欧・中東・アフリカ等世界は躊躇(ちゅうちょ)ならぬ様相を帯び始める。特に東アジアは朝鮮半島、台湾海峡の対立は残されたままという状況から、「日米安保条約に基づく同盟関係が21世紀に向けてアジア太平洋地域の安定にとっての基礎である」とその重要性を再定義し、米軍のプレゼンス維持を共同宣言した(橋本・クリントン東京宣言)。これにより、日米安保の帰趨(きすう)についての国民的不安を解消し、日米同盟の以後の展望が開けたのである。

 これに先立ち我が国は、防衛計画の大綱(07大綱)を閣議決定し、自衛隊の活動を従来の領域防衛・災害派遣に加えて「より安定した安保環境の構築、国際社会の平和と安定」に資するため、国連平和維持活動(PKO)および国際緊急援助業務を実施することを決定した。従来自衛隊の海外での活動は「海外派兵」につながる行為としてタブー視されていたことから一転、国際任務へと多様化が実現することとなった。実に大きな変化であったと考えるとともに、その変化を当然として是認した一般の国民の防衛に対する理解の進化に感謝している。

紛争抑止に大きく貢献

 今般、トランプ米大統領の「日米安保不公平」発言があり、話題となっている。筆者は、本発言は大統領選向けの大衆受けする政治屋的発言の延長で、安保条約自体は決して不公平なものではないと考える。軍人にとって、緊要な地域に、安定した基地を保有し、作戦根拠として使用できるという現実は、大変重要な価値を有する。また、前方プレゼンスにより、紛争抑止に貢献していることを評価すれば、計り知れない効果を生み出していると見るべきである。

 むしろ、近年顕著な東アジア地域の不安定要因となっている中国の異常な軍事的拡張・南シナ海領海化問題、北朝鮮核開発問題に適切に対処するため、20年、30年を見通した日米同盟・共同対処の在り方を検討し、新たな進化した再定義・新指針を模索すべき時期に来ていると考えている。地域の安定・国民への安心・安全感といった面で、これに越した方策は見当たらないと考えるからである。

(すぎやま・しげる)