米ユダヤ系ギャングの興亡
獨協大学教授 佐藤 唯行
禁酒法時代に闇市場支配
解禁後はカジノが収入源に
ユダヤ人は北米植民地時代から「暴力性が乏しく遵法(じゅんぽう)精神あふれる人々」という名声を博してきた。状況が一変するのは20世紀初頭だ。警察の犯罪記録簿にユダヤ姓が数多く登場し始めるからだ。
大都市貧民窟が温床に
契機は200万人もの貧しい東欧系ユダヤ移民の米大都市への来住だ。貧民窟(くつ)を形成し、そこが犯罪の温床となったのだ。当時、就職差別は米史上最も激しく、一部の若者にとりギャングはカネと権力を最速で得られる手段として魅力的に見えたのだ。彼らは高学歴志向のユダヤ社会にあって、教育からドロップアウトした者たちだった。
ユダヤ系ギャングの全盛期は禁酒法時代(1919~33)だ。酒は造っても、運んでも、売っても違法だ。この状況が一大ビジネスチャンスをもたらしたのだ。全米で20万軒のもぐり酒場が乱立。デトロイトでは酒の密造・密売は自動車産業と肩を並べるビッグビジネスとなったほどだ。商才に富むユダヤ系は他のギャングが思いつかぬビジネスモデルを築き、最大の儲(もう)けを手にした。例えば大量のカナダ産蒸留酒を五大湖経由で船団を組み密輸する方式だ。この船団は「大ユダヤ海軍」と仇名(あだな)された。
総人口の3%強にすぎぬユダヤ人は酒の密造・密輸・密売の50%を支配していた(マフィアで有名なイタリア系でさえ25%にすぎなかった)。最大のボスはロススタイン。英国産高級酒を密輸し、米国内の密売組織へ卸すシステムを確立した。犯罪で稼いだカネを資金洗浄することで正業への投資に用いる手法は、彼が編み出したといわれる。イタリア系マフィアと結託し民族の違いを乗り越えた巨大犯罪組織を築いたが、28年に暗殺されてしまう。
禁酒法解禁後、最大の収益源になったカジノ業界で台頭した2人のユダヤ系ボスも、若い頃はロススタインの配下だった。それは「現代ラスベガスの生みの親」と呼ばれるシーゲルと、ニューヨーク・マフィアの「影の支配者」と仇名されたランスキーだ。後者はキューバの独裁者に賄賂を贈り、米政府の干渉を受けず現地でカジノを営業する特権を手に入れたのだ。
ユダヤ系ギャングの特色は、稼業を不名誉な仕事と見なし、肉親に継がせようとしなかった点だ。これに対しイタリア系は、自分が築いた組織の支配権を血縁者に継承させようとした。直系がいなければ甥(おい)や娘婿から適任者を選んだ。かくしてイタリア系マフィアは「ファミリー」と呼ばれるようになった。このような伝統はユダヤ系には無かったので、ランスキーやシーゲルの稼業はわずか一代で終わってしまった。
ユダヤ系ギャングは稼業と家庭生活を峻別(しゅんべつ)したが、悪事を隠し通すことはできなかった。身内がギャングと知り、恥辱を抱く者は多かった。ロススタインの父は息子と絶縁した。最も苦しんだのは子供たちだ。学校で仲間外れにされ、その怒りを父に向ける者もいた。素性を隠し改姓する者さえ現れた。けれどこうした現象は孫の代まで及ぶことはなかった。ランスキーの孫娘のようにギャングだった祖父を懐かしく回想し「民衆の英雄」と見なす者さえ現れたのである。
ユダヤ社会は身内のギャングに対し愛憎相半ばする気持ちを抱いていた。ギャングの悪評が自分たちに波及することを恐れる一方で、在米親ナチ派をやっつける頼もしい用心棒として喝采を送ったのだ。合衆国内でもナチスに追従する勢力が徒党を組み、ユダヤ商店への嫌がらせを繰り返していたからだ。
ユダヤ系ギャングの末路は悲惨だった。親分衆の多くは内輪もめにより、男盛りに暗殺されている。刑死、獄死した者、自殺した者も少なくない。天寿を全うしたのはランスキーくらいだ。
後継者持たず一代限り
ユダヤ系ギャングは第2次大戦後、衰退に向かう。人材供給源だった大都市貧民窟にもはやユダヤ住民がいなくなってしまったからだ。かつての貧しい移民は郊外に移転し、高学歴の専門職になってしまったのだ。3世となったユダヤ人にとり、やくざ稼業は別世界の仕事であった。そして何よりもユダヤ系ギャングは後継者を持たぬ一代限りの稼業だったからだ。
 ユダヤ人と言えば「迫害の犠牲者」というイメージが強いが、組織犯罪で悪名を馳せた者も随分いたことがお分かりいただけたと思う。末尾にユダヤ系ギャングの恋と友情を描いたミュージカル「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」が来春1月、宝塚歌劇団雪組により上演されることをお知らせしよう。日本の観客に新たなユダヤ人像を示してくれることを期待したい。
(さとう・ただゆき)











