日教組問題の異常性 教育現場に理不尽な活動

学校物置に尊徳像遺棄

 今年5月、札幌市南区に住む友人N氏が、数枚の写真を見せてくれた。定山渓温泉近郊の小学校物置に捨てられた、二宮金次郎(尊徳の幼名)像の無惨な姿だった。

 片脚はカッターで切られたような滑らかな断面で、もう一方の脚はハンマーで殴られたように乱れていた。

 最近地元住民がその復元を相談し合っているとのことだった。

 以前、私も札幌市内の小学校校長を訪ね、金次郎像の行方を訊いた。校長はグランドの片隅の草むらに倒され、雑草に埋もれた金次郎像を見せてくれた。教師らの反対で破壊し捨てられたと、話をされた。

 明治政府の日本近代化政策の中で教育の重要性を感じ、全国的に小学校に用いられた金次郎像は、戦後日教組により「軍国主義者」のレッテルを張られ、特に日教組(北教組)の強い北海道はその被害は大きかったようだ。

 米軍が日本の終戦の呼びかけに「民主主義の元祖二宮尊徳」とその名を使い、ビラを撒(ま)いたのは有名な話である。

 世界の紛争に最も怖ろしいことは無知であることだ。米英大国を相手に世界大戦を行い、多くの兵を死なせ、しかも敗戦となる。戦勝国となったソ連のコミンテルン(国際共産党)の指示で日本共産党と社会党(現民主党)により日教組は昭和23年6月に結成され、日本の共産化を教育(日教組)と、朝日、道新(北海道新聞)、NHK等のマスコミで計った。

 それが戦後70年になる現在まで続いているということは、日本の政治力の無力さを示す何ものでもないだろう。開戦時に海軍連合艦隊司令長官の山本五十六は、「せいぜい戦っても1年半、勝ったときに戦争を止めて、講和条約を結びなさい」と言っているのだ。なぜ当時のリーダーは、それを無視したのか。その付けが、いまだに国民を苦しめているのだ。

 当初70万日教組は未だに30万が存在している。私が過去30年間、「日教組が崩れる日」(昭・60)を出版し、人々に警告をする中で父母の相談を受けた例を一、二挙げてみよう。

 一つは、小樽小学校での父母の相談で、内容は小1女児の登校不能がきっかけだった。

 元気で活発な小1の女児が、間もなく頭痛を訴え、帰宅後、ソファに寝たきりの状態で母親が心配し医者に診せたところ、「車酔いの状態」と言われ、娘を問い質すと「先生に殴られた」と言う。その理由が不可解と相談を受けて小樽に出向き、話をきいて驚いた。

 元気な娘は先生の言い付けをよく守り手伝いをしていたが、ある日、「バケツを持って来なさい」と言われ、娘は掃除用のバケツを教室に持っていくと男教師はそれを教室に置かせ、皆に言った。「今日から皆トイレに行かないで此処で用を足しなさい」。勿論女児は反対したために頭を殴られ「眩暈(めまい)」を起こしていたのだ。

処分反対する組合教師

 話を聴き驚いた私は、それは変態者で犯罪であると警告したため父母は相談を始めた。そこへ3人の組合教師が来て、「当教師の糾弾を続けるなら、あなたたちはこの町に住めなくなる」と脅された(前から問題教師だったために親たちが騒ぎ出し、遂に市教委は入院処置とした)。

 もう一例は東京都下の小学校で小6の少女が登校拒否に。相談者はPTA会長(母)で、その年3月の卒業式後の会議で同年6月にある参院選挙の応援依頼を「公務員の違法行為」だと断ったところ、女児は教師らの無視といういじめに遭い、その理由が分からず登校不能となった。私はそのまま休ませるように話した。

 子供たちのいじめ自殺も増える中で、日教組教師の異常性には充分気を付けるべきであろう。