沖縄「土人」発言の問題点
反対運動家も激越な言葉
“喧嘩両成敗”で柔軟な対応を
沖縄本島東村高江地区の米軍北部訓練場のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設をめぐり、その建設を阻止しようとする反対市民運動に対し、「違法で悪質な妨害活動」をしていると、沖縄防衛局が発表した。しかし市民らは「国の機関が、基本的人権をないがしろにしている」などと強く反発した。
この非難合戦は、平成28年10月中旬から11月下旬まで続き、実質的には市民の抗議行動と機動隊による交通規制で県道70号が終日混乱した。押し掛けた抗議集団(沖縄住民と県外の本土の人たちと少数の韓国・中国人らを含む左翼運動家たち)に対し、工事を早く進めようとする大阪府警機動隊員らとがたびたび衝突し、揉(も)み合いが繰り返されている。
その罵言の応酬のさなかに機動隊員の「土人」発言があったわけだ。その事態を沖縄マスメディアが率先して連日取り上げ、一種の過大悪評をした趣がある。おまけに証拠となる映像(機動隊側の動き)を反対活動家の作家・目取真俊氏による提供で、一層加速的性能を発揮したようだ。
幾つかの情報を集約すると次のようになる。機動隊員は、「こら、触るな、くそ。どこつかんどんじゃ、この土人が」「黙れ、こら、支那人」と怒鳴り散らした。そうしたことは、まぎれもない侮辱的なヘイトスピーチだ。この「土人」の差別用語が扇動力となって、沖縄マスメディアによって際限なく事件が広がり、功を奏した形で高江ヘリパッド反対運動の原動力ともなった。
さて、ほとんど報道されていない片方の、反対運動家側も負けずに激しくやり返していたのだ。「お前らは犬だ」「このゴキブリ野郎」「八つ裂きにしてやるぞ」といった脅迫的な発言をしている。もっと激越な台詞(せりふ)が交わされたとも聞く。その結果が反対運動家たちのテコともなり、マスメディアが「土人」発言への批判を扇動する記事が役得となったのだ。しかもほとんど死語だった「土人」という差別用語だけが世間に飛翔して蔓延(まんえん)したわけである。
また、知識人たちが「土人」発言を土台にして、例えば構造的・民族的な差別であるとか、排外主義的な流れを形成しているとか、沖縄県民を潜在的に、あるいは露骨に見下しているとか。それらの波動が広がって政治家たちも「差別とは断定できぬ」とか、「差別用語だと認識すべきだ」とかかまびすしいが、その原因追求をした痕跡は見られない。そこで視野を広げてみると、どれも現在では率直に肯定しがたい要素を含んでいるようだ。
それはきっと敵味方を超えての説得力を持っているかどうかという設問となり、理不尽な言い方だが徒労のようで、うんざりするのだ。やはり、ないがしろにできない問題を孕(はら)んでいるのも事実だ。
例えて砕いて言えば、琉球王国は一部の上流階級の天下で、全体的な庶民は、沖縄が近代化されて行く過程の中でも、農村では貧しく「イモとハダシ」の生活であった。そのことを、日本人は聞き知っていたに違いないし、琉球は「遅れている」と思ったことであろう。そうした伝聞が日本各地に広がっていたことは推測できる。従って沖縄が未開地だという意識を日本人だけでなく、沖縄人自らも抱いていたかもしれない。そういう意識は自然な成り行きとも言える。
ここで筆者の卑近な体験を挙げてみたい。1956、57年の頃、東京の友人3人と新宿のある居酒屋で雑談していた時、一人が「君はどこの出身か」と問うのである。私が「沖縄だ」と言うと、もう一人が「じゃあ沖縄の土人はどんな人たちか」と聞くのだった。こっちは驚いて言葉に窮したが、「ぼくがその土人だよ」と言い返すと、彼らは数秒間無口になったが、すぐ一斉にどっと笑った。彼らは拙(まず)いことを聞いてしまったという表情ではなく、自分たちの認識不足をその場で理解したらしく、笑いながら「そうか」と頷(うなず)いていた。
もう一つは、60年頃に沖縄から上京して来た実業家2人と食事をした時のこと。2人は「昨夜は面白い経験をしたな」と笑顔で話し出した。2人が銀座のクラブでウチナーグチ(沖縄語)で話し合っている時、ホステスが「お客さんたちはどこの国の方ですか」と問うたという。2人はすぐさま閃(ひらめ)きを感じ、方言で打ち合わせをして、「ぼくたちはインドネシアから来たんだよ」と言い聞かせたのだ。彼女は本気にして頷いた。その後、ホステスたちから質問攻めに遭ったという。その時の2人は悪戯(いたずら)っぽく、とても嬉(うれ)しそうだった。
以上の体験を問題扱いにすべきではないかもしれない。昨今の多くの若者たちには「土人」の意識や怒りは全く通用しないだろう。ただ思うに、至上命令を受けて忠実に義務遂行した機動隊員と、基地反対運動を是が非でも押し通して工事をやめさせようとする抗議市民たちとの、衝突・闘争・喧嘩(けんか)であってみれば、そこは売り言葉に買い言葉があったと言える。つまり一種の喧嘩両成敗だと言えば、両者は納得しないだろうが、それに近い立場であったのではないか。そして沖縄は、「土人」発言に対していささか拘(こだわ)り過ぎたのではないか。
それに周りの人たちも何はともあれ、もう少し柔軟さを持ってほしかったとつくづく思うのである。
(ほし・まさひこ)