西田天香の教育思想 枝葉の学問に惑わされず

燈影学園学園長 相 大二郎氏に聞く

 “争いのない生活”を目指して一燈園を開いた思想家・西田天香によって昭和5年(1930)に創設された燈影学園。当初、生徒は共同生活を営む同人たちの子弟だけだったが、昭和64年(1989)に一般開放され、今では小学校から中学校、高校までの全校生徒約110人が一貫教育を受けている。教育に一燈園の未来を託した西田の教育思想を相大二郎学園長に伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

本来の魂を失わず
3本柱は祈り、汗、学習

昨年10月、一燈園秋の集いでの講演「天香さんの一燈園」で宗教学者の山折哲雄氏は燈影学園について話しました。

相 大二郎氏

 あい・だいじろう 相学園長は一燈園で生まれ育ち、西田天香の精神を数十年以上にわたって、体験してきた。一燈園・燈影学園(小・中・高校)の学園長として長く教育に携わり、平成23年「教育者 文部科学大臣表彰」受賞。著書に『いのちって何?』(PHP研究所)がある。

 山折氏は「一燈園高校のこの65年間の卒業生は350人で、普通の高校なら1年間の数である。『燈影通信』には『これは決して自慢ではない、驚きである。…数年前は生徒数1人の年もあった。それに10人に及ぶ先生方が一対一で真面目に教える』と書かれている。それを平然と受け止め、学園を維持していることに驚嘆し、大きな宝が隠されているのではないかと思った」と一燈園教育と天香さんの思想について語り始めました。

 結びは、「天香さんの原点は、長浜八幡神社境内の愛染堂で断食坐禅を行い、3日後の朝、赤ん坊の泣き声を聞いたことにある。聞くことがいかに重要か。それが燈影学園に対する『宣伝するな、光っておれ』の言葉になる。それが1人の相手に向かうときの基本で、『1人の卒業生を、胸を張って卒業させた』と言い切る一燈園に深い敬意を表する」でした。

天香さんの教育思想は?

 体系的なものはありませんが、昭和10年に出た『思ひ出』には、次のような言葉が残っています。「教育の仕方にも、枝葉のことを不自然なやり方で教える教え方と、根本のことを自然な方法で教える教え方の二通りあるようです。…『学校に行ってまごついた習い方をすると、枝葉のことは覚えるか知らぬが、根本のことを失う惧れがある。それよりは、むしろ学校に行かぬ方がよいと思う』と言いたいのであります。殊にこの頃の学校教育は、どれだけ覚えましても、一番大切な人格は墜落さすことがどうやら多いらしく、『学校に子供をやることはむしろ損じゃ』と思わすほどで、そうしてこの考えはそんなに間違った考えではないと思うのであります。…本来の魂を失わないよう、世間の枝葉の学問に誘惑されないよう、それらを知ることは差し支えないし、粗末にしてはならぬが、ただ、それに執われないようにしていただきたいと思います」とあります。

 天香さんは「拝育」ということも言われています。子供の光を拝んで育てようというのです。子供の光を見いだせないと、「教える」ことにこだわってしまいます。

 教育には「教わる教育」と「伝わる教育」「気づく教育」があると思います。知識や技術は教室で教えることができますが、人間性や価値観、生活習慣は言葉で教えることはできません。子供たちは心で感じ取っているのですから、今さら教える必要はないかもしれない。何が良いのか悪いのかということは、知識としてはすでに知っているのです。それを言葉で教えるのではなく、感じ取らせ、身につかせる工夫が必要です。

一燈園教育の柱は?

 「祈り・汗・学習」の三つです。「祈り」は毎朝8時20分から礼堂で15分間の瞑想(めいそう)です。私の導入の言葉の後、拍子木の音を合図に始まり、子供たちは自分自身と深く向き合います。特定の宗派、教派の祈りではなく、自然の懐に抱かれ静かな時間を過ごすことで考える力や集中力が養われます。

 「汗」は周囲のお役に立つ行動をすることで、「作務(さむ)」と呼んでいます。小中学生のための給食の調理、山林の伐採、幼児やお年寄りの世話などを授業の一環に組み入れています。

 「学習」は基礎学力の徹底を重視し、卒業生の中からは京都大学をはじめ大阪大学、北海道大学など国公立大学、難関私立大学にも合格者を出しています。

 文科省は「読む力」「話す力」「生きる力」を言っていますが、それに「気づく力」を入れてほしいですね。大自然が発信する情報をキャッチするのが気づきで、これを私はIS(インフォメーション・センシビリティー)教育と呼んでいます。

 大自然に抱かれていると落ち着くのは、自然の神秘と言えます。そこに軸足を置くと気づくことが多く、毎日が実に楽しい。そういう力を育てるのが「自然に適(かな)う教育」です。

学園長になった相さんが一般開放を決めたのは?

 当時、将来の生徒数をシミュレーションすると、10年後には生徒がいなくなることが分かったからです。学園の閉鎖か一般家庭の子弟への門戸開放かを迫られ、後者を選択しました。

 私が最初に考えたのは、一燈園から教育機関がなくなれば、天香さんの思想も業績も後世に伝わらなくなることです。天香さんの思想業績を後世に伝えるためには学園を存続させなければならず、それには外部の子供を入れるしかありませんでした。

 平成元年から門戸開放し、14年には全学園児童生徒数が51人に減りましたが、徐々に回復して今春は110人で出発しました。今も日本一小さい私立学校ですが、天香さんの遺言は「宣伝するな、光っておれ」なので、控えめに広報しています。

 平成24年にユネスコ本部から「ユネスコスクール」に認定され、23年に文科省から「教育課程特例校」に指定され、独自のカリキュラムが法的にも認可されました。中学高校生の少林寺拳法は全国優勝しています。

「集い」は朝の聖徳太子祭から始まり、子供たちが中心に営むので同人や来客の校友たちも真剣になっていました。

 春と秋の集いも、子供たちが前列に並んでいるから活気があります。西田多戈止当番も園の百周年に際し、一燈園は「教育共同体」と「研修会」に力を入れていきたいと発表しました。