作文に綴られた「真剣に生きる姿」

石川県志賀町で中高生対象に「加能作次郎文学賞」授賞式

 大正から昭和初期の文壇で活躍した自然主義文学の作家・加能作次郎(1885~1941)の功績をたたえる「加能作次郎文学賞」の授賞式が、このほど生まれ故郷の石川県志賀(しか)町の富来(とぎ)活性化センターで行われた。同賞は中学、高校生を対象に「次代を担う子供たちが文学作品に触れ、文章を書く喜びを味わってほしい」と、生誕100年に当たる昭和60年に創設され、今年で34回を数える。(日下一彦)

家族の「繋」や人生の「命日」題材に高評価受けた受賞者

作文に綴られた「真剣に生きる姿」

自然主義文学の作家・加能作次郎

 同賞には「中学生の部」と「高校生の部」があり、中学生は地元の羽咋(はくい)郡市の生徒を対象に、「私と本との出会い」または「生活作文」を課題に400字詰め原稿用紙で5枚前後、高校生は能登全域で、「私と文学作品との出会い」または「生活作文」で、同8枚前後だ。今年は昨年のおよそ2倍の160点が寄せられた。中高生対象の文学賞がこれだけ長く続いているのは全国的にも珍しい。

 「中学生の部」で最優秀賞に当たる「文学賞」を受賞したのは、志賀町立志賀中学校2年の岡島瑠奈さんで、家族の「繋」をつづった。この他学校賞1校、佳作4点が選ばれた。「高校生の部」では鵬(おおとり)学園高校(七尾市)3年の堀井理央さんの「体操部の私」が受賞、その他学校賞1校、佳作1点だった。

 岡島さんの「繋」は、地区に受け継がれる獅子舞と家の継承を取り上げ、過疎化問題と自身の立ち位置を忌憚(きたん)なくつづっている。昔は長男しか獅子舞に参加できなかったのが、少子化で今では女子も参加するようになり、社会人になっても大好きな獅子舞を繋(つな)いでいきたいという。

 その思いは、自身の生まれ育った現代的な家と、隣に建つ築60年の祖父母が住む平屋建ての家に及ぶ。そこでお昼を食べ、畳の上で昼寝をして天井を見上げると、大きな梁(はり)の上に先祖が組んだすす竹が並んでいた。筆者はそこで「先祖が受け継ぎ、繋いでくれたからこそ、今日の私達がある。そして受け継いだ時、決して次の代に継ぐことを忘れてはいけない」と力強く結んでいる。

作文に綴られた「真剣に生きる姿」

畠山会長に謝辞を述べる受賞者=石川県志賀町の富来活性化センター(加能作次郎文学賞の会提供)

 審査委員を代表して、講評した同会の谷内由美子さんは、「家族を中心として、そこにしっかりと生きている人々の息遣いが伝わるような文章です。作次郎の文章に共通するものがあるのではないかと感じました」とたたえ、「文学賞にふさわしい作品になっています」と加えた。

 一方、堀井さんの「体操部の私」は、5歳で始めた体操競技を11年間続けたが、高校2年生になる直前に退部することになり、その日は「大袈裟に言えば私の人生の一つ目の命日」との表現で、複雑な心境を吐露している。

 堀井さんは家族も呆(あき)れるほどの飽き性で、体操もすぐに辞めるだろうと思われていたが、小中学生になっても続け、その姿に「家族みんなが凄いと手を叩いて驚いた」という。一番好きな競技が床運動で、自分で選んだ音楽に合わせて演技できるのがうれしかった。当然、優勝トロフィーや金メダル、賞状を何度も受賞するほどの活躍だった。

 ところが、中学2年生になって、「このままでは(自分が)腐るだけだと気づいた」という。徐々に高難度の技の練習が続き、危険も付いて回るので、コーチから叱られる回数が増えた。コーチの叱責は頭では分かっていても、「何度も叱られ続けるのは精神的に堪えた」と記し、「次には危険が伴う体操に恐怖を感じるようになってきた」という。こうした複雑な心情を抱えたまま高校生になり、とうとう退部を決断した。「『体操部の私』は昨年の3月24日で幕を閉じた。しかし、いなくなった訳ではない……そうやって私は成長していく中で『新しい私』の誕生日と『古い私』の命日を何回か繰り返していくのだろう。」と結んでいる。

 講評で谷内さんは「無駄のない文章でよくまとめられている。誰もが生きていく上で体験する挫折を、自分の次のスタートになるのではないかと捉え、とても引き込まれる文章でした」と高く評価している。

 同会の畠山涼子会長は、「生まれ育った土地や家族への思い、今夢中になっている事、友達との苦い思い出、夢そして挫折などさまざまで、どの作品も真剣に生きている姿が感じられた」と述べ、その功をたたえた。