北前船の寄港地をテーマにミニ新聞にまとめ発表

日本遺産認定・秋田県由利本荘市の小学生

 「もし北前船が来ていなかったら、今のような町の発展はなかった」「どんな人が乗っていたのか、もっと調べてみたい」-江戸時代から明治時代まで、北前船の寄港地だった秋田県由利本荘市の小学生が、自分たちで調べて考えた内容をミニ新聞にまとめて発表した。(伊藤志郎)

地元の食文化や歴史を学び、経済支える港に関心深める

北前船の寄港地をテーマにミニ新聞にまとめ発表

自分たちの班が作った「北前船こども新聞」を発表する児童=文化交流会館カダーレ

 このほど、秋田県由利本荘市の文化交流会館カダーレで開かれた「北前船寄港地あきた交流セミナー」でのことだ。日本財団と、政府の総合海洋政策本部、そして国土交通省の旗振りのもと、オールジャパンで推進する「海と日本プロジェクト」の一環。

 2017年4月に、日本遺産として文化庁から「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」として寄港地38自治体が認定された。この新聞作りはそのうちの15自治体の小学校で行われたもので、由利本荘市はその一つ。

 小学生の高学年を対象に、北前船が地元にもたらした食文化や歴史を楽しみながら学ぶとともに、経済を支える港の役割や文化に関心を持ってもらおうという趣旨だ。

 そのため、研究モデル校を選定してワークショップを実施し、それぞれが「北前船こども新聞」を作る。そして、それらをまとめた冊子を活用して、再び各モデル校で授業を実施するというもの。地元への関心・誇りを深めるとともに、ほかの小学校との交流につながればという意味合いが込められている。

 同市では、寄港地のすぐ近くに位置する新山(しんざん)小学校と鶴舞(つるまい)小学校が選ばれた。建物や文化財、港の役割などを訪ねるワークショップはすでに8月に開かれ、両校の5年生合計26人が参加している。

 当日は、新山神社や本荘郷土資料館、大泉寺、善応寺などを見学した。新山神社では、越中国(富山県)から運ばれた石灯籠や、福井県からの狛犬(こまいぬ)をじっくり観察。善応寺では今も使われている越前瓦(現在の福井県敦賀で製造)を見た。

 郷土資料館では、北前船関連の説明を受けたほか、越前瓦に彫られた瓦師の名前などを書き写した。その後、各班ごとに「北前船こども新聞」を作り、自分たちが考えたこと、疑問に思ったことを活発に意見交換している。

 新山小学校の子供たちは新聞のテーマを、「暮らしに活気を与えてくれた北前船」として発表した。由利本荘市には当時、北前船が寄港する港が二つあった。秋田県南部を流れ日本海に注ぐ1級河川の子吉川を挟んで、北側には亀田藩の石脇湊(いしわきみなと)があり、南側は本荘藩の古雪(ふるゆき)湊だ。

 「運ばれて来たのは、越前瓦や岩見焼、船箪笥、米や調味料などの日用品、佐賀県の唐津焼など。船箪笥は、貴重品を入れるのに適している。北前船のおかげで、全国の珍しいものが手に入るようになった」。また北前船は技術や文化も運んだ。

 「新山神社には、富山県から石灯籠が運ばれてきた。この石灯籠は、梶谷竹次郎さんが作った」。さらに注目したのは「ものだけでなく、職人も運んだ」こと。「職人は、亀田藩の殿様に家紋付きの瓦を作った、その瓦は今も郷土資料館に残っている」

 北前船が寄港したことで人々の暮らしが豊かになり、街の様子が活気に満ちあふれた点にも注目した。「もし北前船が寄港していなかったら」、今のような由利本荘市や技術・文化の発展も無かったかもしれないとして、「北前船があって良かったなと思う」と締めくくった。

 一方、鶴舞小学校のグループは、「物と文化を運んだ北前船」をテーマに発表。由利本荘市から大阪にはお茶、日本各地には秋田杉の木材を運んだという。

 「北前船が残したものの中に船絵馬があります。船絵馬は、船の安全を願って作られました。実際に船に乗っていた人の願いが込められていました。他にも幸せを願って作られた『石脇さんぶつ』という唄があり、今も唄われ続けています」と説明した。また当時伝わった、お菓子のもろこしを作っている店が今でも残っていることを紹介した。同グループは「車や飛行機がなかった時代に、船だけでほぼ全国に物を運んでいたおかげで、港の近くが賑やかになったんだと思いました。遠くまで、たくさんのものを運んでいて、すごいです。北前船や海のことに関心を持つことができたし、北前船についてもっと知りたくなりました。だから、このことをみんなに広めたいです」と感想を述べた。