やり直せる社会の実現を
安定志向の価値観に疑問
入試と就活で人生決めるな
学校という、世間から隔離されている温室の世界で仕事していると、世の中の動きを身体で感じることが少なくなっていく。
私の場合は村落や街に出て人々から話を聞かせてもらうフィールドワークを仕事にしているので、まだ世間との接点はある。しかし、それも結局「観察者」としての接点であり、そこで生きて生活している人の感覚とは程遠いのだと思う。
そんな学校という世界で生きていても、少しだけ世の中の動きを身近に感じることがある。学生たちの就職である。
一昨年あたりから、大学生の就職状況は好調である。私が所属する大学の学生、そして私のゼミ生も次々と内定をもらっている。先月も男子学生から内定をもらったという報告を受けたが、数年前まで、この時期に早々と内定をもらえるのは、かなり優秀な学生のみであったことを考えると、本当にありがたいことだと思う。
その一方で、数年前からキャリア教育というものが盛んに行われるようになってきた。今では、大学や高校だけでなく、小学生や中学生向けのキャリア教育も定着してきている。私のところへも、大学の出前講座として講師依頼が少なくない。
ところが、私の講演を聞いて、最初のうちは驚いてしまう中学校や高校の先生も多い。それは、先生たちが予想していた内容と私の講演の内容が大きく異なるからである。
多くの先生たちが予想(期待)しているのは、明確な目標を持つことの大切さ、それに向かって努力することの素晴らしさ、夢を持とう、自分に合った仕事を見つけよう、自分の長所を見つけて伸ばそう、自分を知ろう等である。あるいは、正規雇用と非正規雇用の生涯賃金の差などの現実的な(に見える)ことについての知識である。
その考え方の根底にある価値観は、敷かれたレールにできるだけ早く乗って安定した生活を送るべきだ、ということだ。そのレールの上に乗って「自己実現」せよと言う。確かに、できるだけ早く安定した職について経済的に安定した生活を送れるなら、その方がいい。それは私も決して否定はしない。
しかし、現実的には、そして将来的にも、おそらく私の講演を聞いている生徒たちの少なくない人数が正規雇用につかない可能性の方が大きいことは確かである。雇用形態は既に多種多様であり、しかも、安定していると思われていた大企業が突然経営破綻するというのも既に珍しいニュースではなくなりつつある。
長期的に安定している職業の代表としての「公務員」も大企業も、これから大きく変化するだろう。将来はどうなるか分からないはずの「安定した職業」という少ないパイを奪うために競争させることだけが良いことだとは私は思わない。それよりも、もっと本質的なこと、世の中の変化に対応するために今何を考えた方がいいのか、そもそも、働くことの意味は何か、仕事とは何かから、多様な生き方、さまざまな価値観、について一緒に考えた方がいい。
おそらく、売り手市場で比較的楽に就職していった学生たちは、かなりの割合で数年を待たずに退職していくと思う。実際に、最近若者の早期の退職が問題になって久しい。それを聞いた大人たちは、最近の若者の忍耐力のなさや打たれ弱さを嘆く。
しかし、私はあえて学生側の代弁をしたいと思う。
そもそも、私たち昭和の人間が就職した時と現在ではあまりにも多くのことが変わり過ぎていて、既に別世界なのである。正規雇用と非正規雇用の割合を見ただけでそれは理解できる。また、つい最近まで就職氷河期と言われ、内定をもらうまで何十社と就職試験に落とされて自尊心をズタズタにされたかと思えば、今度は人手不足で売り手市場のお客様扱い。
「とにかく就職して、その会社で懸命に頑張ればなんとかなる」と思えない時代に彼らは生きている。おまけに、彼らの多くはハングリーではない。歯を食いしばって努力して手に入れなければならなかった「人並みの生活」は既に親世代以上が用意してくれているのだ。
すなわち、変わらないといけないのは若者ではなく、私たち大人と社会の仕組みである。ネットを使えば何でもすぐに調べられるどころか、AI(人工知能)の時代と言われている現在、就職試験、特に公務員採用試験等は相変わらず単純に知識の量を問うもの、あるいは、対策が可能な適性検査である。面接を重視すると言っても、その面接官は昭和の価値観から抜け出せない大人ということも少なくない。
守るべき普遍的なものは何で、時代の変化に対応するために変えるべきことは何かという議論がまだまだ足りないのではないか。
このようなことは、学校という「温室」にいるから言えるのかもしれない。しかし、「レールに乗ってしまえば安泰」とは言えなくなった現在、レールの存在そのものを見直さなければならないと学生や卒業生たちを見ていて強く思う。18歳の大学入試と22歳の就職試験で人生がほぼ定まってしまう社会ではなく、いつでもやり直せる社会をつくりたい。
(みやぎ・よしひこ)