ひめゆり平和祈念資料館、コロナ禍で運営危機に

 沖縄戦で負傷兵の看護に動員され、多くの尊い命が犠牲となった「ひめゆり学徒隊」の最後の地である壕(ごう)の上に糸満市のひめゆりの塔が建ち、その隣に「ひめゆり平和祈念資料館」がある。沖縄戦跡巡りでは最も人気がある場所だ。資料館はこのほど、開館30周年の事業の一環としてリニューアルをしたが、コロナ禍にあって来場者は激減。苦境に立たされている。(沖縄支局・豊田 剛)


戦争体験者が高齢化、展示内容リニューアルも来場者激減

ひめゆり平和祈念資料館、コロナ禍で運営危機に

沖縄県糸満市のひめゆり平和祈念資料館で、当時の学校での生活の様子を伝える展示=沖縄県糸満市

ひめゆり平和祈念資料館、コロナ禍で運営危機に

資料館の入り口には多くが命を落とした伊原第三外科壕があり、「ひめゆりの塔」が建てられている=沖縄県糸満市

 ひめゆり学徒隊の女子生徒らをしのぶ「ひめゆり平和祈念資料館」は、32年前の1989年に建てられた。今年4月、戦争を体験していない世代の職員らが中心になって、展示内容をリニューアルした。同館は開館当初から沖縄戦に動員された元学徒らが中心になって運営されてきた。2005年から戦後世代の育成を行い、今回のリニューアルの柱になった。

 「戦争からさらに遠くなった世代へ」をテーマに、戦争体験者が少なくなった今の世代が追体験できるようにイラストや映像を使い、表現でも工夫した。特に、学徒動員前の学園生活の様子、生徒が動員された過程、元学徒らが資料館設置に至った経緯、陸軍病院での仕事の様子を展示。さらに、語り部の活動など戦後の活動も紹介している。

 同館の運営を支えるのは入館料収入だ。同じく糸満市にある沖縄県平和祈念資料館と違い民間で運営されているため、公的な支援がない。入場者は2019年に年間約50万人が訪れたが、新型コロナウイルスの流行により一定期間の休館を余儀なくされ、昨年の入館者は前年度比86%減の7万人程度。今年はそれをもさらに下回る見通しだ。6月23日は沖縄慰霊の日。この月は年間を通じて入場者が多いのだが、緊急事態措置期間だったため、休館を余儀なくされ、大きな痛手となった。

 代表的な語り部の一人で、資料館館長も務めた宮良(みやら)ルリさんが8月、亡くなった。戦争体験者が高齢となり、来館者向けの講話ができる人がほとんどいなくなっていることも、若者世代にリニューアルが託された一因だ。

ツイッター発信受け支援が拡散、オンライン講話も開始

 運営危機の中、運営者は手をこまねいていたわけではない。危機を訴える現状をツイッターで発信、支援の動きが拡散され、わずか2週間で3200万円を超える寄付が寄せられた。

 また、コロナ禍で修学旅行で訪れる客が激減している中、同館は昨年11月から、沖縄戦を伝える新たな取り組みとしてオンラインで平和講話を開始した。ただ、反響は少ないという。普天間朝佳館長は「今、何もしなければ、全国の修学旅行の行き先が沖縄でなくなってしまう。平和学習をつなぐ大事な取り組みだ」と語る。

 新型コロナ収束後には修学旅行の事前事後学習にオンライン講話を取り入れ、資料館を訪れた時の学習をより深めることができると、可能性も見いだしている。普天間館長は「元学徒が身をもって体験した命の大切さを伝えてきた場所と活動をつなぎ、守ることが責務だ」と話している。

 5年ぶりに資料館を訪れたという那覇市出身の30代の女性は「コロナ禍で観光客が来ないからこそ応援したい気持ちがある」として、就学前の子供3人と一緒に見学していた。「今は平和な時代だが、こんな悲惨な戦争があったことを子供たちが理解してくれれば……」「リニューアルされ、全体的に明るくなった。戦争が始まる前の生徒たちの生き生きとした様子を知ることができて良かった」と話していた。