国の守り歌う「蛍の光」
今年の夏は、例年よりも先の大戦や、戦前の日本社会を自虐史観的にとらえた報道が少なかったような気がする。
一方、8月19日に開催された第37回全教協教育研究大会で、自民党の有村治子参議院議員が「教育は国民性を創る礎」と題して講演し、途中、「蛍の光」の4番までを会場全員で大合唱したという報道は心を打った。
「蛍の光」の3番と4番は、戦後は学校で教えなくなったが、戦前は音楽の教科書に載っていた。
ちなみに、3番の歌詞は「九州の端や東北の奥まで、海や山々によって遠く離れていても、真心はただひとつにして互いに国の発展の為に尽くそう」という内容。
4番の歌詞は「千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。学を修め職を得て、どこの地に赴むこうとも、日本各地それぞれの地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、勇気を持って任にあたり、務めを果たしていただきたい」という内容。
日本領土が戦争に関係なく一番拡大(最大版図)したのは、昭和14(1939)年である。この年、南沙諸島、西沙諸島を新南群島として日本領土に編入している。これによって千島列島最北端の占守島から、南樺太、朝鮮半島、日本列島、琉球諸島、台湾、新南群島までの広大な範囲が日本領土となったのである。
だが、大東亜戦争の敗戦によって、日本領土は縮小。現在の日本領土は昭和18年11月のカイロ宣言、昭和20年8月のポツダム宣言、日本と連合国が昭和26年9月に締結したサンフランシスコ講和条約によって決定された。
その結果、敗戦後の日本領土は北海道・本州・四国・九州および連合国の決定した諸小島に限られることになる。
明治維新以降、日本人が血を流して戦った日清・日露戦争、第1次世界大戦で得たすべての領土を放棄し、基本的には幕末・明治初期に確定した領土のみが、日本領土となった。
3番、4番の歌詞を知ることで、先人たちの安全保障上の苦労が見えてくるような気がする。
(濱口和久)