子供たちに乏しい生死観
核家族化が進み、出産も病院、最期を迎えるのも病院というご時世、子供たちが“生老病死”の場面に出合う機会が少なくなった。先日、「生命の大切さ」を考える講演会に参加したところ、小学生の生命に関する、驚きの調査を耳にした。
小学校低学年では、一度失われた生命は二度と戻らない、と感じる生徒は少数派、まだ、実感するところではないのだろう。道徳や生活科で、生命の問題を扱うことが増え、植物を育てたり、小動物を飼って世話するうちに中学年では、生き返ることはない、と考える子供が主流になる。ところが、高学年になると、再び、生き返るかもしれない、という回答が増えるという。
講演会の会場にいた多くの人は、最近のゲーム人気で、「戦いで死んでも、リセットすれば、また生き返る」と子供たちが感じているのではないか、と考えたようだった。しかし、講師の話を聞いてみると、ゲーム感覚のリセットではなく、生命の大切さ、というものを本気で考える機会が少ないことに起因するという。
頭では分かっても、近親者の死に直面する機会がほとんどない。臨死体験の話を“死から復活”のように捉えたり、「そうだったら、やり直しができるのにな~」という漠然とした思いを回答している傾向が強いという。
「看取り医」の話に、小学生の祖父母など年長者が最期を迎える時、立ち合わせてあげることで、人生の勉強になる、と語っていた。その人の生きざまを話してあげ、尊敬の念を持って見送ってあげることが大切だ。
また、忙しい現代の生活パターンでは難しいことだが、最期を迎える直前だけでなく、認知症にも向き合い、「尊厳を守ってあげる」ことも、高齢者に幸せを感じながら最期を迎えさせてあげる大切なポイントだと感じる。(宏)