児童虐待防止を訴えつつ家庭教育支援法に反対する左派紙の二枚舌
◆26年連続で最多更新
子供への虐待や育児放棄(ネグレクト)、いわゆる児童虐待はれっきとした犯罪だ。児童虐待防止法は「何人も、児童に対し、虐待をしてはならない」とうたっている。
児童虐待は昔からあったが、統計が残っているのは1990年度からで、その先駆けとなったのは1989年の全国児童相談所(児相)所長会の調査だという(福島章編著『犯罪ハンドブック』新書館)。
この調査では半年間の新規受理ケース数が1039件と報告された。1年間で換算すれば、2000件以上にもなり、その多さに世間は驚いた。それから四半世紀を経て、2016年度の統計が8月、厚生労働省から発表された。
それによると、全国の児相が対応した児童虐待の件数は12万2578件。15年に比べ2万件近くも増え、90年度から26年連続で最多を更新した(各紙17日付夕刊)。
実に60倍、恐るべき増加ぶりだ。無理心中を除いた虐待死は52人。予期しない妊娠で、妊婦健診も受けていない事例が目立ったという。松原康雄・明治学院大学長は読売紙上で、「対応件数の増加は、家庭の養育能力の低下などで虐待自体が増えたことと、自治体や警察などが情報共有を進め、これまで見えなかった虐待を把握できるようになったという二つの側面がある」と指摘している。
朝日には、「死亡事例を検証した専門委員会の委員は『予期しない妊娠による虐待死が多く、妊娠期から切れ目のない支援が必要』」と指摘。「『児相や市町村の職員体制の強化や技術向上が求められている』としている」とある。どうやら、この二つの課題が浮き上がってきたようだ。
◆対処療法的な論調
だが、児童虐待の増加を社説で取り上げたのは毎日だけだった(24日付)。他紙は虐待報道に慣れっこになってしまったのか、流し記事で扱うだけで物足りない。毎日の社説タイトルは「市町村の役割より大きく」。課題の後者に焦点を当てている。
昨年の児童福祉法改正で、児相が重要案件に集中できるように、市町村に妊娠期から子育て期までの支援をする「子育て世代包括支援センター」設置の努力義務を定めたとし、乳幼児健診や新生児訪問などの母子保健事業などで虐待リスクの高い家庭を把握するよう促し、「市町村の機能強化を急ぎ、増え続ける虐待に対応できる体制を整えるべきだ」としている。
もっともな主張ではある。医療や介護ではすでに地域包括支援センターが設けられ、身近な場所でサポートしている。その児童版が子育て世代包括支援センターだ。市町村の機能強化が課題なのは言うまでもない。
だが、もう一つの課題である「家庭の養育力の低下」について毎日はなぜか取り上げない。これは左派メディアの姿勢を象徴しているように思えてならない。従来の論調は虐待を起こす原因を取り除くのではなく、起きている虐待への対応ばかりで、対処療法的だったからだ。
なぜなのか。それは虐待死に多かった「予期しない妊娠」や「妊婦検診も受けていない」をなくすには性の在り方(性倫理)や結婚観、家庭観に言及せざるを得ないからではないか。これらに左派メディアは否定的だ。
日教組が中高校生に薦めた『生徒人権手帳』(副題、「生徒手帳」はもういらない=三一書房)は子供の権利として「セックスするかしないかを自分で決める権利」を挙げているが、左派メディアはこれに同調した。性を好き勝手とすれば、とうてい「予期しない妊娠」は防げないだろう。
◆「親学」進める熊本県
児童虐待をなくすには熊本県の「家庭教育支援条例」が参考になる。条例は家庭だけでなく、地域社会みんなで子供の育ちを支えていこうと、親になる中高生や若者に乳幼児と触れ合う体験など「親学」を進めている。
こうした条例は他の自治体にも広がっており、自民党は家庭教育支援法案の国会上程を目指している。公約には青少年健全育成基本法の法整備もある。憲法改正草案には家族条項を盛り込んでいる。
これらに左派メディアはことごとく反対だ。児童虐待をなくそうと言いつつ、その一方で防止する手立てをつぶそうとしているのだ。二枚舌が極まっている。
(増 記代司)