新国王時代のタイ、王女が重要なカギを握る
タイのプミポン国王が死去し、後継の新国王は、即位はまだ先ながら、ワチラロンコン皇太子(64)にスンナリ決まったようである。少々複雑な気持ちがする。
後継者争いを見たいわけでは全くない。でも、もう一人の王位継承者だった国王の次女、シリントーン王女(61)が、1970年代以来、国民の間でいかに人気が高かったかを、思い起こしているからだ。
ワチラロンコン皇太子は、1972年に王位継承者となったが、妹も78年に継承権を与えられた。日本でも近年、女性・女系天皇問題が議論されてきたが、この時、タイ王室内で強い反対があったのを、プミポン国王が押し切った、という。
タイには厳しい「不敬罪」があるから、王室の内情や人物論などは、ほとんど報道されないが、皇太子は、軍人として学び育ち、国民より軍部と親しかった。めったに笑顔も見せない。
プミポン国王は「フライング・キング」とも形容され、「スキンシップ」と「スマイル」で国民を魅了し、深く慕われた。国中を飛び回って住民と接し、大学の卒業式にも出かけて一人一人に卒業証書を手渡した。
そんなプミポン式を受け継いだのが、シリントーン王女で、特に70~80年代には、若い王女の写真付きカレンダーの売れ行きは、スター俳優らをはるかにしのいだ。将来のシリントーン女王誕生を期待する声は多かった。
1980年だったか、私はタイ外国特派員協会の役員をしていて、12月5日の国王誕生日に王宮前広場で開かれる園遊会に招かれた。そこで、シリントーン王女と少し話を交わす機会があった。「新婚旅行には、日本においでになりませんか」。
後で、もっと気の利いたことが言えなかったのかと反省したが、眉毛が濃く、意思の強い女学生のような王女様は、ドッキリ質問に戸惑いながらも、ニッコリ笑顔で応えてくれた。
その笑顔に改めて魅せられ、映画「ローマの休日」をもじり、「バンコクの休日」と題したコラムを書いた。王女と新聞記者の淡い恋を描いた名作になぞらえるのも、全くおこがましかったけれど…。
だが、その後、兄皇太子が離婚問題、愛人問題などを抱える一方で、シリントーン王女はずっと独身を通してきた。だから、王位継承はムリになったか。いや、継承争いなどを避けるために、意図して結婚しなかったのかもしれない。
そして、文化・教育の振興、地方の視察など、高齢、病気気味の父国王に代わり、「フライング・プリンセス」となって活躍してきた。国際文化・学術交流にも熱心に関わってきた。
新婚旅行はともかく、日本にはその後、8回も訪れた。しかし、特に深い関心を寄せているのが中国文化で、中国訪問は30回にも上っている。
中国は、もともと毛沢東主義の地下政党、タイ共産党の闘争を支援していた。しかし70年代半ばの国交樹立後は、タイ王室との関係を重視し、王女を「人民友好の使者」(4年前の訪中当時の習近平・副主席の言葉)とまで呼んで歓待している。中国の東南アジア・カードの重要な1枚と思っているのだろう。
けれども、それは日本にとっても同様である。今まだタイは、軍事クーデター後の余震の中にいるが、早く立憲君主制のタイ式民主主義を再確立し、21世紀版として発展させてほしい。
ワチラロンコン新国王の統治力はあくまで未知数だ。王室と国民や外国を結ぶ太いパイプ、シリントーン王女の役割は、今後さらに重要となろう。新国王との兄妹協力のパワーに期待したい。
(元嘉悦大学教授)