テロとは違う特攻隊

 1月13日付朝日新聞夕刊に、次のような記述があった。

 「少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣。70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った国があった」。

 この記述に対して、1月29日付産経新聞で、宮本雅史編集委員が「特攻隊とテロ、同一視に怒り」という見出しをつけ、朝日新聞を痛烈に批判している。

 朝日新聞の態度は、昨年の不祥事への反省がまったく感じられないどころか、傲慢(ごうまん)さすら感じてしまう。さらにいえば、特攻隊員に対する冒涜(ぼうとく)以外のなにものでもない。

 宮本氏も指摘しているように、特攻隊は敗戦が濃厚になり、抜き差しならない環境の中で採用された究極の戦術であり、標的は軍事施設だけだった。決して無辜(むこ)の民は標的にしなかった。無差別攻撃を行うテロとは根本的に違うのである。

 朝日新聞がある意図を持って、「特攻隊とテロを同一視」する方向に読者を誘導しようとしているのなら、それは偏向報道そのものだ。

 宮本氏は特攻隊の生みの親である大西瀧治郎中将についても触れている。

 戦局が悪化する中、大西中将は昭和19(1944)年、第1航空艦隊司令官としてフィリピン・マニラに着任した。現地の保有機はたった100機で、戦闘機はわずか30機しかなかった。大西中将はこの局面において、「国を救う唯一の手段は航空機による体当たり攻撃以外には道はない」と考えた。

 この決断の背景には、当時の青年が死しても国を護(まも)りたいという純粋な気持ちがあったからだ。大西中将は青年らの心情をくんで、特攻という作戦を苦渋の中で決断したのである。

 今年は戦後70年、時間がある方は、鹿児島の知覧特攻記念館に足を運んでもらいたい。そこに展示されている多くの特攻隊員の遺書を読めば、「特攻隊とテロを同一視」するような気持ちには絶対にならないはずだ。

 特に朝日新聞に今年4月入社予定の学生には、是非とも足を運んでもらいたい。

(濱口和久)