日本語を話す勇気
地球だより
漢江近くにあるソウルの東部二村洞という所は、日本人駐在員とその家族が多く住む場所として知られるが、先日、そこで知人の日本人と会った。駅のそばのコーヒーショップに入り、互いの近況などを話し合っているうちに気が付いたら2時間以上が過ぎていた。店内の客はほとんどが韓国人の一人客で、みな携帯やパソコンをいじっていたが、時折BGMが途切れると、われわれの日本語だけが響き渡った。
韓国滞在歴の長い知人は「韓国も変わったものだ。こうして日本語で会話していても誰も気にも留めない」と言う。彼は昔、街中で日本語で話をしていたら、通りすがりの酔客に突然、胸ぐらをつかまれたというエピソードの持ち主だ。それでも電車やバスの車内など韓国人が大勢いる場所で大きな声で日本語を使うにはまだ勇気が要るもの。そんな時、韓国が声高に主張する「歴史認識」がむくむくと頭をもたげてくる。
知人との別れ際、歩道で日本人女性5、6人のグループが大きな声で談笑していた。するとすぐ横にいた年配の韓国人女性が「うるさい!」と一喝。日本人女性たちはしゅんとして黙り込んでしまった。東部二村洞くらい多くの日本人が住み着いて長い場所もないのだが、ここですら日本人の“市民権”は心もとない。東京・新大久保などはとっくにコリアタウンとして定着しているのに、韓国にはまだジャパンタウンと呼べる場所がない。
(U)