耐用年数切れた「専守防衛」
太平洋への関与不可欠
「空母」艦隊擁し米豪と協力を
安倍晋三内閣は、向こう5年の防衛政策の大枠を定めた「防衛計画の大綱」を閣議決定した。華春瑩(中国外務省副報道官)は、この「防衛計画の大綱」に対する中国政府の評価として、「中国の正常な軍事活動について脅威を扇動している」と主張した上で、「強烈な不満と反対」を表明した。
また、『読売新聞』(電子版、12月19日配信)記事に拠(よ)れば、海上自衛隊の「いずも」級護衛艦を改修し事実上の「空母」として運用する方針について、華春瑩は、「歴史的な原因で、日本の軍事面での動向にアジアの隣国は高い関心を寄せている。日本は専守防衛を堅持すべきだ」と述べたとのことである。
中国政府の反応に限らず、此度(このたび)の「防衛計画の大綱」に絡む議論は、それが「専守防衛」で想定される範囲を逸脱しているか否かに焦点が当てられているようである。
しかしながら、そもそも、「専守防衛」という翻訳不能の言葉を日本の安全保障政策上の原則を表すものとして使っていることそれ自体が、ナンセンスの極みである。「専守防衛」という言葉には、「大した意味もないことを特別なことのように装っている」風情が濃厚に漂っている。「専守防衛」は、当初は国内政局の都合で編み出された概念であったかもしれないけれども、現在では中国のように日本が安全保障上の影響力を拡張させるのを阻みたい国々の思惑に資するものとなっている。それは、日本の安全保障上、もはや益のない概念なのではないか。
日本は、憲法前文の趣旨と国連加盟国の立場を踏まえる限りは、「侵略や武力による威嚇」の目的のために軍隊を使わないのは当然である。日本は、憲法前文と国連憲章の趣旨に沿った「国際協調」の目的のために自らの軍隊を使う。この原則で十分なのではないか。
「国際協調の徹底」を日本の安全保障政策原則として位置付けるのであれば、在沖米軍基地に絡む議論もまた、従来とは別の観点からの議論が提示されよう。筆者は、在沖米軍基地に係る「沖縄の負担」を減らすためには、次の四つの手順を踏まえるべきであると常々、考えてきた。
① 憲法第9条改正を実現させる。
② ①の結果として、フル・スペックの集団的自衛権行使を可能にする。
③ ②を前提として、日米同盟を含む「西方世界」諸国の同盟ネットワークを特に台湾やフィリピンに拡大させる。これは、台湾やフィリピンの安全保障にも日本が米国と共に関与することを意味する。
④ ③を前提にして、在沖米軍の一定部分を台湾やフィリピンに移せるように各国と調整する。
これは、「迂遠(うえん)な議論」を国民各層に要請するものであるかもしれない。しかしながら、在沖米軍に係る議論を「本土と沖縄との関係」の文脈でのみ続けている限り、現下の膠着(こうちゃく)は打開できまい。
従来、左派勢力は①それ自体に反対するから、その議論が「沖縄の負担」の軽減に結び付くことはない。日米同盟を含む「西方世界」諸国との同盟ネットワークに穴を開ける対応は、安全保障政策上、論外の沙汰であるからである。
一方、右派勢力は、理念上は①を目指しながらも、②と③に係る構想を具体的に示さなかった故に、結果として「沖縄の負担」を当然のように語っている。②や③と手順が踏まれた後に日本が全体として背負い込む安全保障上の負担は、現状の対GDP(国内総生産)比1%強の予算規模を受け入れる以上のものになるのは必定であるけれども、そのことに大方の日本国民の覚悟ができているかは定かではない。沖縄の不満と呼ばれるものの本質は、その点にあろう。
そうであるすれば、前に触れた日本が保有することになる実質上の「空母」が攻撃的か防衛的であるかなどという議論が些末(さまつ)にして愚昧である事情も、明瞭になるであろう。要は、この「国際協調」の趣旨に沿って、どのような具体的な枠組みを構築し、その枠組の中で、どのように「空母」を使うかである。一案としては次のようなことが考えられよう、
① 現下、日本が保有する「空母」様式艦艇には、「いせ」級2隻と「いずも」級2隻の総数4隻があるけれども、これを先々、6隻にする。
② その内、2隻を投入して、米豪両軍と共同で太平洋島嶼諸国周辺を巡回する。
これは、太平洋島嶼(とうしょ)諸国の安全保障には、日米豪3国が共同で責任を持つ態勢を固めることを意味する。それは、太平洋に影響力を広げようという中国の企図に抗(あらが)う効果を帯びることになる。折しも、パプアニューギニア・ポートモレスビーAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の風景は、太平洋島嶼諸国が米中確執の舞台になっている現状を世に知らしめた。日本が「空母」艦隊を擁して太平洋への関与を深めるべき必然性は愈々(いよいよ)、高まりつつあるのではないか。(敬称略)
(さくらだ・じゅん)