スポーツ支援も含めて 東京五輪の真価が決まる

山田 寛

 今月千葉で行われた世界女子ソフトボール選手権の予選で、アフリカ代表のボツワナは全7試合コールド負けした。総失点97、得点1。そのチームに日本人コーチ、中村藍子さんがいた。元選手で昨年初めから現地で指導している。

 ボツワナはかつて、エイズウイルス感染率世界一だった。2001年の成人推計感染率は実に38・8%。平均寿命は1980年の58歳から01年の38歳に降下した。その後改善されたが、そんな小国で中村さんらの指導でソフトボールが国民的スポーツとなり、アフリカ一となった。でも世界の壁は高い。

 だが真剣試合の大敗は糧となる。以前の国際卓球大会で、アフリカ選手にわざと緩い“友好球”を打つ中国選手がいた。糧になり得ない。

 欧米や日本で、アフリカ出身選手が高い身体能力を示し、マラソンなどで活躍している。だがアフリカ・スポーツ全体は困難を抱え、レベルも普及度も容易に高まらない。

 サッカーでは90年代半ばから、有力選手がどんどん富裕な欧州諸国に流出、16年の欧州選手権には43人のアフリカ出身選手が出場した。

 それは後進の青少年に夢を与えるが、本国のサッカーは優秀選手と魅力を失い、テレビ中継も減り、投資も来ない。

 仏国際問題誌ルモンド・ディプロマティクの最新号は、「アフリカ・サッカーの苦悩」と題し、西部のコートジボワールを例に「不安定か国を棄てるか」と書いている。選手の平均月収は、同国最低賃金の3倍程度で3万~4万円。それも不安定で3カ月欠配もしばしば。国を棄てた選手は今年173人に上る。

 選手を引き抜くだけでは、スポーツ発展途上国支援にならない。そこで、日本は今とても重要な挑戦に取り組んでいる。

 「スポーツ・フォー・トゥモロー」(SFT)。官民共同で、途上国を主対象にスポーツの普及とレベル向上、交流に努める。5年前、東京五輪決定の国際五輪委(IOC)総会で、安倍首相が胸を張り「20年までに100以上の国々の1000万人以上にスポーツの喜びを直接届ける」と約束した計画だ。

 14年~今年3月に202の国・地域の664万人に対し、4002件もの支援プログラムを実施した。ほとんどの途上国をカバーしている。

 例えば、ブラジルでの駅伝やミャンマーでの剣道大会開催、ジンバブエでの障害者柔道、ラオスでの車いすバスケなどの普及、野球グローブ、柔道着や剣道着、サーフボードなどの道具支援、運動会やドッジボールの普及…内容は広範だ。

 「1000万人以上」の目標達成はまだ遠い。

 だが、20年前からカンボジアでマラソンや体育教育を支援してきた有森裕子さん、ミャンマーで野球を教えて18年の岩崎亨さん、14年前「アフリカ野球友の会」を結成した友成晋也さんら、ずっと早く始めた人たちもいる。

 運動会は、運動と無縁の子供が多い途上国の草の根にその喜びを広げる。私も大学教員時代、毎年学生とアジアの田舎の小学校で小運動会を開いた。大歓声が今も耳から離れない。

 東京五輪が起因だが、今の日本ほど途上国でのスポーツ普及、指導、支援にきめ細かく取り組んでいる国はないだろう。東京五輪はその点でかつてない五輪だ。

 酷暑を乗り越え、大事故もなく、日本が沢山のメダルを獲得、多数の外国人観光客が来れば、20年はまずは成功である。だが、SFT支援選手たちが躍動し、その後も途上国でスポーツが質量共に発展、五輪・障害者五輪の地図が真の世界地図になれば、その時こそ東京五輪という大事業が真に成功したと言えるだろう。

(元嘉悦大学教授)