難民・移民・外国人労働者、日本はウィンウィンの関係を

山田 寛

 欧州がまた難民・移民で大揺れだ。

 「移民問題が欧州連合(EU)の命運を握る」(メルケル独首相)。

 だが、受け入れ大国だったドイツやイタリアも含め、抑止ムードが強まっている。

 そんな中、北アフリカのリビアなどからすし詰めの小舟で南欧を目指す難民・移民を、救助船が救い上げる。国際NGO「国境なき医師団」などの船が629人、ドイツNGOの船が234人、スペインNGO船が60人、デンマーク貨物船が110人…。だが、EUの難民受け入れの抜本的改革を求めるイタリア新政権は、救助船の寄港を断固拒否。どの船も数日間海上で立ち往生し、やっとスペインなどの港に入れた。

 リビアの警備船に捕まり収容所に送られる者も多い。そして水死・行方不明者も少なくない。

 ピークだった15年と比べ、トルコ→ギリシャ・ルートがほぼ閉ざされ、絶対数は減っている。国連機関によれば、15年は約101万人が欧州に到着、死者・行方不明者は3771人。今年は7月5日現在、到着4万6407人だが、死者などは1355人に上る。

 気になるのは、最近舟によっては、妊婦を含む女性や子供が2~4割も含まれていることだ。15年は私も現地調査に行ったが、アフリカ大陸を数十日も歩いて来て舟に乗るだけに、イタリア到着者のほとんどは若い元気な男だった。

 先月末のEU首脳会議で抜本改革案は棚上げされ、域外で難民審査をする仕組みの検討など多少の合意をした。だが、リビアの収容所に送られた女性や子供たちの体力がどこまでもつか。

 救助船を出すから送り出しビジネスがやまないとの声もあるが、溺れる者は溺死させられない。

 私も関わった31年前の小さな出来事を思い出す。新聞社のパリ駐在から帰国直後、仏国営テレビの人気女性キャスターが突然私を訪ねてきた。彼女のパートナーのNGO「世界の医師団」代表らが乗った救助船が、ベトナム沖で960人もの難民を救助したが、フランスは遠く、近隣で上陸OKの国が見つからない。そこで、彼女が日本に引き受け要請のため飛んできた。ベトナム戦後10年以上を経ても、社会主義ベトナムから多数の難民が小舟で脱出していた。

 記事も書いたが、友人でNGO「難民を助ける会」役員で、中曽根首相や周辺に近い吹浦忠正氏に政府への働きかけを頼んだ。

 何日も経(た)ち、やっと政府がOK方針を固めたと聞いたが、その最終決定直前、フランスが全員引き取りを決めた。日仏人道コラボはタッチの差で空振りに終わった。

 そんな具合で当時は難民引き取りに積極的だった日本だが、今「昨年の難民申請約2万人に対し認定は20人だけ。ドイツの6000分の1。冷たすぎる」と批判される。でも仕事目的難民申請が大半だから、低認定率も仕方がない。

 ところが、失業率の高い欧州と異なり、人手不足の日本は、先ごろ外国人単純労働者約50万人の受け入れ拡大方針を決めた。最長5年とし家族同伴も原則認めず、移民ではないという。

 「ネコの手も借りたいが移民はノー」には問題もある。だが先(ま)ずは、難民性の乏しい難民申請者に声をかけ、外国人労働者枠内への転向を認めることを提案したい。技能実習生と同様、日本にいて日本語もある程度でき、3K仕事でも真面目に働いている申請者が少なくない。難民申請数ばかり多い問題も改善できよう。

 また、外国の難民キャンプで労働希望者を募ることも考えられないか。日本と外国人労働者、そして難民。ウィンウィンの関係を作るよう努めるべきと思うのだ。

(元嘉悦大学教授)