AIの時代に必要な教育

宮城 能彦沖縄大学教授 宮城 能彦

魅力ある大人の背中示せ
豊かな発想は豊富な知識から

 先日、高校の先生から興味深い話を聞いた。

 高校生たちが真剣に「将来なくなってしまう仕事は何か」と議論しているというのである。最近よく話題になる人工知能(AI)の話である。「AIに取って代わってしまうような職業を目指しても仕方がない。では、私たちは何を目指せばいいのか」という不安が私たちの想像以上に高校生にはあるという。

 多少、マスコミやネットに煽(あお)られている感もあるが、しかし、高校生にとって重要な問題であることには変わりない。かつて、工場での単純労働がロボットに代わられていったように、今度は「知識労働」とされるものがAIに取って代わられるかもしれない。将来のために一生懸命勉強していることが、実はあまり意味はなかったということになりかねないのである。

 「教師」という職業に関してはどうであろうか。明確に言えることは、知識の伝達という点ではAIの方が優れているということだ。

 私は、私の講演や授業をビデオ撮影することは基本的にお断りしている。特に、「欠席した人のために録画して後で見てもらう」という理由の場合は遠慮いただく。なぜならば、たとえどんなに用意周到に準備してきた講演であっても、場と時間を共有しているからこそ醸し出す何かがあるからである。

 私は、今、目の前にいる人たちに対して話をしているのであり、聞く人の目や表情やしぐさに大きく影響を受ける。別の言い方をすれば、講演や授業は、話し手と聞き手の共同作業なのである。だから、その場にいなかった人がビデオで講演を見聞きしても、肝心なことは伝わらない。そのことを大切にしたいと思っている。

 教師の仕事がもし「知識の伝達」だけだとしたら、それはAIに取って代わられるだろう。実際、残念ながら、放送大学などに見る授業の多くは、専門家がカメラの前で無表情で話すより、専門家が書いたシナリオを上手に読み上げられるプロのアナウンサーの方がいいと思う。その延長線上で考えれば、アナウンサーよりAIの方がもっといい仕事をするだろう。

 すなわち、専門家が受講生と面と向かって同じ場と時間を共有することによって生み出すもの、実際に自分の目で見て聞いて触ってみないと分からないもの、直接相手と話してみないと分からないこと、それがなく、見て聞くだけでいい授業ならAIの方がいいのだ。

 それでは、高校生たちに質問されたときに何と答えればよいだろうか。

 単なる知識だけでなく、人と人の触れ合いでしか伝えることができない何らかの魅力を持つこと、要するに、いわゆる「人間力」が最も重要になってくる。結局このようにしか言うことができない。

 しかし、「人間力」と言ってしまうと、それは、ブーメランのように自分に帰ってきてしまう。特に私たち教師はそうだ。「そういうあなたはどれだけの人間力を持っているのか」「人としてのどれだけの魅力をもっているのか」と自らが問われることになるからだ。

 これからどのような社会になっていくのか。20年後には、どのような技能あるいはマインドが求められるのか。それは分からない。だからこそ、大人が勝手な予測を立てるよりも、人として魅力ある大人の後ろ姿を見せることこそが大切だと思う。会社の上司として、先輩として、学校の先生として、そして親として。

 最近の学校教育、特に小学校の授業を見ていると、先生が「さあ、皆で考えてみましょう」「グループで話し合ってみましょう」と言って、グループで話し合って考えるという作業が多い。もうかなり前から、かつての「詰め込み教育」を反省し、「考える力」「創造力」を育成するためのプログラムになっており、今や学校教育の主流は「アクティブラーニング」である。つまり、教師が一方的に話すのではなく、児童生徒が主体的に考えるような授業展開をしなくてはならない。

 しかし、かつての「詰め込み教育」の世代より、「考える力」を重視した教育を受けた若者の方にこそ創造性がないのではないか、という報告もある。実際、私も最近の大学生に感じるのは、発言に紋切り型が多いこと、学習に発展性がないこと、そして発想に個性がないことである。その要因は単純である。発想の基になる知識が少な過ぎるからだ。偏差値の高い大学生のことは私には分からないが、少なくとも地方の国公立私立大学の学生には当てはまるだろう。

 逆説的ではあるが、人間よりもはるかに多くの情報量とその処理能力を持つAIの時代に適応するために必要なことは、子供たちに基本的な知識を与えることである。そして、その方法として重要なことは、子供たちと触れ合う中で学ぶことの楽しさを伝えることができる大人の人間的な魅力である。「みんなで考えましょう」と言うのではなく、考えている大人、学び続けている大人の「かっこよさ」を見せることだ。

 「風が吹けば桶屋が儲(もう)かる」的になってしまうが、AIの時代に重要なのは、子供たちに見せる大人の背中、なのだと私は思う。

(みやぎ・よしひこ)