ソ連の宣伝工作活動に従事

再考 オバマの世界観(5)

ハワイの「赤い師匠」(上)

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オバマ米大統領の自叙伝「私の父からの夢」

 オバマ米大統領が1995年に出版した自叙伝「私の父からの夢」には、このような人物が登場する。オバマ氏は初めて会った時の印象を「私はフランクおじさんに興味をそそられた。半開きの目の後ろには苦労して手に入れた知識が感じられた」と記述している。

 自叙伝にはファーストネームしか出てこないが、本名はフランク・マーシャル・デービス氏(1905~87)。長年、ソ連のプロパガンダ工作などに従事した筋金入りの共産主義者である。ハワイ・ワイキキビーチ近くに住んでいたこの男こそ、思春期時代のオバマ氏に極めて大きな影響を与えた人物である。

 オバマ氏の両親は1964年に離婚。小学生の時にインドネシアからハワイに戻ったオバマ氏は、母方の祖父母と暮らしていた。祖父スタンリー・アーマー・ダナム氏は、オバマ氏には父親の代わりとなる黒人のロールモデル(手本)が必要と考え、デービス氏を紹介した。これが2人の「師弟関係」の始まりだ。オバマ氏は祖父とともにデービス氏の家を時々訪れては長時間語り合ったとされる。

 デービス氏はどのような人物だったのか。ポール・ケンゴア・グローブシティ大学教授は、著書「コミュニスト」でデービス氏の過去を詳述している。

 同書によると、デービス氏は第2次世界大戦中に米国共産党に入党。シカゴでは自ら創刊に携わり、初代編集長を務めた「シカゴ・スター」紙で、ハワイ移住後は同じく共産党系の「ホノルル・レコード紙」で、ソ連礼讃・米国敵視のコラムを書き続けた。

 デービス氏は特に、ソ連のヨシフ・スターリンが第2次世界大戦後、東欧諸国を次々に衛星国化したことを称賛。これに抵抗したハリー・トルーマン米大統領をファシスト、帝国主義者などと呼んで激しく非難した。また、毛沢東率いる中国共産党政権を支持し、韓国やベトナムも共産化されることを望んだ。

 デービス氏の過激な言論と共産党フロント組織を通じた工作活動は米議会から危険視され、1956年に上院の公聴会に召喚される。デービス氏は黙秘権を行使し、共産党員であるかどうかなどについて回答を拒んだ。だが、同委員会が翌年公表した報告書は、同氏を「特定された共産党員」と明記した。

 米連邦捜査局(FBI)はデービス氏を危険人物に指定し、米ソ間の戦争など非常事態の際はいつでも身柄を拘束できるようにしていた。また、FBI資料によると、同氏はハワイ海岸部の写真を撮影していたことが確認されており、ソ連情報機関のスパイ活動に関与していた疑いがある。

 オバマ氏は小学生の時から大学入学まで、このような過激な人物から指導を受けていたのだ。

 「フランクは聞き上手だった。だから、バラク(オバマ氏)は彼が好きだったのかもしれない。フランクはバラクが言っているより、バラクに大きな影響を与えたのは間違いない」

 デービス氏の家の隣に住んでいた女性は、オバマ氏の半生を綿密に描いた「ブリッジ」の著者デービッド・レムニック氏にこう証言している。2人の関係を間近で見た人物が、デービス氏はオバマ氏の価値観形成に大きな役割を果たしたと断言しているのである。

 80年に当時大学2年生だったオバマ氏と議論を交わしたジョン・ドリュー氏は、ニュースサイトへの寄稿などで、オバマ氏は既に熱烈なマルクス・レーニン主義者だったと証言しているが、デービス氏の存在を考えれば納得がいく。

 オバマ氏が今も共産主義を信奉しているとは考えられない。だが、自由世界のリーダーたる米大統領が、ソ連の工作活動に従事した共産主義者と長期間、師弟関係にあったことは衝撃の事実である。

(ワシントン・早川俊行)