歪曲された「分離の壁」 信教の自由擁護が真意
米建国の理念はどこに(4)
ワシントンから南西に車で約2時間。豊かな自然に恵まれたバージニア州シャーロッツビルには、独立宣言の起草者で第3代大統領のトーマス・ジェファーソンが過ごした邸宅「モンティチェロ」がある。モンティチェロはイタリア語で「小さな山」を意味し、その名の通り、小高い丘の上に建つ。
建築家で発明家でもあったジェファーソンが自ら設計したモンティチェロは、ジェファーソンのこだわりが凝縮されている。偉大な建国の父の一人であるジェファーソンの生きざまに触れようと、連日、多くの観光客が訪れる。
美しい庭園が広がる敷地内の一角にジェファーソンが眠る墓がある。無数の業績を残したジェファーソンだが、墓石には本人が誇りにする功績が三つだけ刻まれている。一つ目は独立宣言の起草、二つ目はバージニア信教自由法の起草、三つ目はバージニア大学の設立だ。大統領を務めたことが記されていないのは実に興味深い。
さて、そのジェファーソンは今日、特にリベラル勢力の間で厳格な政教分離主義者と認知されている。政教分離の議論で必ず登場するのが、「教会と国家の分離の壁」という言葉だが、これはジェファーソンが1802年にコネティカット州ダンベリーのバプテスト連盟に宛てた書簡の中で用いた言葉だ。合衆国憲法修正第1条の国教禁止規定を具体的に説明したものと解釈されることが多い。
ジェファーソンが私的な書簡で、しかもこの一度だけ使った「分離の壁」は今日、さまざまな判決で引用され、まるで法律のように扱われている。リベラル勢力が公の場から宗教の排除を求める根拠として挙げるのも「分離の壁」であり、ジェファーソンが厳格な政教分離主義者とみなされる所以だ。
バージニア信教自由法は米国で初めて政教分離を定めた法律だが、これはあくまで個人の信教の自由を保障することに主眼を置いたものだ。「何人も宗教上の見解、信念を理由に苦痛を受けることがあってはならない。全ての人は自らの宗教に関して意見を表明、維持する自由を有する」と明記されている。
同法の起草を大統領職以上の誇りにするジェファーソンが、宗教に非寛容な社会を望んでいたとは考えにくい。元タイム誌記者で大学教授のデービッド・エイクマン氏は、「分離の壁」の真意はむしろ信教の自由を擁護することにあったと指摘する。
「(ジェファーソンが書簡を送った)バプテスト派は当時、英国国教会が主流のバージニア州などでひどい弾圧を受けていた。ジェファーソンは世俗主義者の自らを含め、宗教的マイノリティー(少数派)の自由を守りたかったのだ。つまり、ジェファーソンが望んだのは、キリスト教の影響を社会から排除することではなく、バプテスト派のような少数派を国家の制約から保護することにあった」
バージニア州選出のランディー・フォーブズ下院議員(共和党)もワシントン・タイムズ紙への寄稿で、「分離の壁」が公の場から宗教的要素を排除する道具に「歪曲されている」と断じた上で、次のように指摘した。
「この歪曲により、ジェファーソンは宗教を教会の四方の壁に閉じ込めようとしたと一般的に思われている。だが、実際は、ジェファーソンの壁は政府を制約し、信教の自由が『不可侵の権利』であることを保障するという意味だ」
ジェファーソンの「分離の壁」は今日、政府ではなく宗教を制約するという正反対の意味で解釈されてしまっている。
(ワシントン・早川俊行、写真も)






