コロナ禍の中で デモがある世界、ない日本

山田 寛

 

 60年前の今月、学生の安保闘争で日本は大揺れ。国会前デモで死者も出た。
 大学1年生の私も誘われてデモに行ったら、警官隊の背後に屈強な暴力団員が樫(かし)の棒を手にズラリ並んでいる。恐かった。日米安保条約問題もよく判(わか)らないのに撲殺されたくない。デモは1回でやめた。その不甲斐(ふがい)ない思い出があり、必死にデモを続ける人々には敬意を表したくなる。

 今最も必死感があるのは香港のデモだろう。コロナ対策として9人以上の集会が禁止されているが、民主活動家の大量逮捕や中国政府の国家安全法導入決定に抗議して、先月デモが戻ってきた。数百、数千人の小デモで、毎回3ケタの逮捕者が出ている。天安門事件犠牲者追悼も分散集会を余儀なくされた。万里の長城の壁は高い。でも彼らは諦めていない様だ。

 黒人男性が警官に窒息死させられた事件から全米に広がった抗議デモは、一部暴動化し略奪や放火が続いた。警官と犯人の銃撃戦が多い米国では、2013~19年に警官に殺された人数は7666人にも上る(NGO「MPV」の調査)。人口比では、黒人が警官に殺される率は白人の2・5倍だ。特に酷(ひど)い殺害があると溜(た)まった人種マグマが噴き出す。今はコロナの鬱屈(うっくつ)感もある。過激派や外国勢力の介入もあるというから問題は複雑だ。だが、トランプ大統領も平和デモ参加者にはもっと共感を示した方がよい。

 コロナ危機の中、世界各地で平和デモと「群衆暴力」と呼ばれる激しいデモや集団行動が多数起きている。

 米NGO「ACLED」によると、3月11日に世界保健機関(WHO)がパンデミック(世界的大流行)を宣言後約2カ月間に、約90の国(主に途上国)で1100件以上の「群衆暴力」事件が起きた。総数は宣言前と余り変わらず、警察や軍と衝突する事件が1・75倍に増えた。外出や集会の規制で、すぐ警察が取り締まりに出るからだろう。民間人への「群衆暴力」では、医療従事者や感染を疑われた者も被害者になっている。

 平和、暴力合わせて多いのは、規制に抗議し、経済活動再開、援助を求めるデモだ。ロシア、インド、バングラデシュ、南米のベネズエラ、チリ、アフリカ諸国などのデモの叫びは切羽詰まっていた。「食べ物がない。コロナより餓死してしまう」

 東欧では、コロナを理由に強権化を進める政権への警戒心も強い。政権が中国式を信奉するセルビアでは、市民運動家が毎日曜の晩、強権政治批判の鍋たたきを続けている。

 もう一つ応援したくなるのは医療従事者のデモである。

 米、独、ベルギー、パキスタン、アルゼンチンなどで、主に防護具不足を訴えた。ドイツの医師グループはその不足を強調するため、オフィスで裸でいる写真を配信、度肝をぬいた。医療従事者がデモをしなければならず、パキスタンでは参加した医師ら53人が逮捕された。それでコロナに勝てるわけがない。

 日本では今デモはほとんどない。検察庁法改正案への抗議も、SNS署名とは別に国会前デモはミニサイズだった。(7日、大阪で米国の人種差別抗議への応援デモがあったが、外国人主催だった様だ)

 コロナ禍の中で、病気への警戒心、自粛力の強さ、順法の習慣、黙って耐える力、同調モードの強さなど、国民性がその大きな理由だろう。

 そして経済への打撃は甚大でも、強権政治化、人種、餓死など、感染の危険を冒しても必死にデモしなければならない問題はなく、安全保障などは余り気にしない平和国家(平和トンボ国家)だ。デモの少なさをどの程度誇るべきかはわからない。

(元嘉悦大学教授)