北海道開拓精神で南米へ
環境・食糧・教育問題解決のモデルに
パラグアイ南北米福地開発財団理事長 中田 実氏に聞く
アマゾン川流域の乱開発やCO2(二酸化炭素)排出などによる地球温暖化で世界的な気候変動が問題になっている。急激な人口増加は食糧難を引き起こすとの予測もある。こうした中でパラグアイ南北米福地開発財団は「レダ・プロジェクト」と称し、南米パラグアイで約8万ヘクタール(800平方キロメートル)に及ぶ原野を20年の歳月をかけて開拓、人類が将来にわたり直面するであろう環境・食糧・教育問題の解決のためのモデルを構築しようとしている。これまでの歩みや今後の展望などについて同財団の中田実理事長に聞いた。
(聞き手=湯朝肇・札幌支局長)
在来魚の完全養殖に成功
技術を地元に還元へ
レダ・プロジェクトは今年、20周年を迎えるということですが、そもそも同プロジェクトは、どのようなビジョンの下でスタートしたのでしょうか。

なかた・みのる 昭和24年12月生まれ。北海道出身。高校卒業後、警察官として働くが、渡米を決意し、20年間、米国でビジネスに携わる。米国滞在中にニューヨーク大学に学ぶ。一時、日本に帰国するも1999年8月から南米パラグアイ・パンタナール開拓に従事。現在、パラグアイ南北米福地開発財団理事長。
レダ・プロジェクトは、南米大陸の中央部に位置するパンタナールという世界最大の熱帯性湿地の中で進められています。パンタナールはブラジルとボリビア、パラグアイにまたがり、20万平方キロメートルという日本の面積の約半分という広大な面積を有していますが、豊富な生態系が残されており、ユネスコの世界自然遺産にも登録されています。そうした中でレダ・プロジェクトは、1999年に天宙平和連合(UPF)総裁であられた文鮮明師の提唱によって立ち上げられ、以後、8万ヘクタールの広さを有し、地球環境のための持続可能な開発と研究に取り組んできました。理念としては現在、世界が抱える環境問題や食糧危機といった地球規模の課題、南北の経済格差の解消といった経済問題を解決することを目的としています。もっとも、これらの問題は一朝一夕に解決できるものではなく、また、一国だけでできるものではありません。宗教や国家間の軋轢(あつれき)を乗り越えてできるものであるだけにそうした視点を踏まえながら取り組んできました。
具体的には、どのような事業を進めているのでしょうか。
レダ・プロジェクトといっても最初の10年間は、草木が鬱蒼と茂った湿地帯を牧草地や農地に変え、まず人間が生活できる土地に造り変えることに費やされたといっても過言ではありません。道路や電気などインフラが整備されているわけではありませんから一からのスタートです。自然が豊かといっても川に行けばワニもいますし、アナコンダ、毒蛇もいます。一歩間違えば命を落とす危険もあります。後半の10年間はさまざまな事業に取り組むことができました。牛や豚、ヤギなどの牧畜をはじめ、農産物ではさまざまな作物栽培に挑戦する中、害虫や鳥害を受けず大量に栽培できるタロイモの大量生産が実現し、水産業では2017年にパラグアイ国立アスンシオン大学との連携で在来魚のパクーの完全養殖に成功しました。パクーの養殖事業には、現地の知事や現職の大統領も駆け付けて激励して下さっています。また、昨年から地下塩水を利用したオニテナガエビの養殖事業にも取り組んでいます。この他に青果栽培、食品加工、植樹などを行っており、それぞれの事業が着実に成果として立ち上がってきている段階です。
この20年間、8万ヘクタールという広大な土地を開拓するに当たって精神的なエネルギーは中田さん自身、どこから湧いてきたのでしょうか。
一口に8万ヘクタールといっても実際に現地に立ってみれば、東京都23区(約6・3万ヘクタール)よりも広いのですから気の遠くなるような感じになります。同プロジェクトが始まる以前、私は米国でビジネスに携わっていましたが、文鮮明総裁のビジョンに賛同してこのプロジェクトに加わりました。当時、49歳の時です。以来20年間、この事業を長く続けることができた要因を自分なりに考えたとき、先祖が北海道開拓の入植者であったことが大きいと実感しています。私の先祖は山口村(現在の札幌市手稲区山口)という地域の開拓に入りました。遅い入植であったため、土地の良い所は残っておらず、一面は“やち”と呼ばれる湿地、沼地でした。そこを黙々と開拓したのです。広さは違えども環境はパンタナールも同じです。私は、このパンタナールで北海道の開拓魂を発揮しようと思ったのです。つい最近までNHKの朝ドラで「なつぞら」がありましたが、あの番組も北海道開拓が根底にありますね。
また、北海道の開拓史を振り返ってみると、米国のキリスト教と大いに関係していることが分かります。クラーク博士をはじめとする米国教師たちがキリスト教を宣教していきます。と同時に、牧畜・農産技術を教えていきました。新渡戸稲造や内村鑑三など札幌バンドというキリスト教運動を繰り広げた彼らは、クリスチャンであると同時に米国人教師から技術を学んだのです。そして彼らの技術が北海道を造り上げていきました。私もパンタナールのレダで積み上げた技術や産業を、地元の人々・地域に還元していきたいと考えています。
こうした開拓事業は青少年教育に大きな力を発揮すると思われます。また、現地の人との交流は拡大しているのでしょうか。
10月に入って、日本は大きな災害に見舞われました。台風によって停電が発生し、交通機関もストップし、不便な日常生活を強いられた所もあります。一方、パンタナールに行くと文明的なものは皆無です。今でこそレダには電気はありますが、映画館やレストランがあるわけではありません。あるのは広大な自然だけです。ただ、そうした広大な自然と接することで、命の尊さや大切さを感じ取ることができます。若い時に自然の大きさ、命の大切さ、また、ある意味で“不便さ”を体験し、それを乗り越えていく力強さを養うことは極めて重要なことだと考え、私は青少年教育をレダ・プロジェクトの大きな事業の柱に据えています。幸い毎年、米国や日本から青少年のボランティアチームが参加して私たちの事業を支援してくれています。今後、さらに支援国を広げていきたいと思っています。
ところで、パラグアイにはグァラニー族という先住民族がいます。今から500年ほど前にカトリックのイエズス会の宣教師が、文字や祈り、楽器を教えていきました。グァラニー語はパラグアイの公用語の一つにもなっており、勤勉で精神性の高い部族として知られている。そうしたグァラニー族の人々が私たちのレダ・プロジェクトに非常に高い関心を示してくれるようになり、徐々にではありますが、連携して事業に取り組んでいるところです。